「いつまでも女性として見られたいんです。」
そういって、いけない恋をするAさん。
いけない恋をするってことは、
そりゃ迷惑をかけているわけです。
お互いに。
悪影響も与えている。
お互いにも、お互いの家族にも、
お互いの子供にも。
やっぱり親が不倫している。
なんて最悪だ。
でも、そんなこと、当人もわかっていて、
「それでもやっぱり女性として見られたいの。」だ。
目の前のAさんも同じだ。
Aさん「しょうもないってわかっている。」
Aさん「でもいつまでも女性でいたい…。女でなくなるのが怖い…んです…。」
そう涙ながらに彼女は僕に訴える。
僕「それは怖いですね。私がなくなってしまうような。そんな切なさにも聞こえます。」
そう答えると、Aさんはぐっと唇をかみしめてこう言った。
Aさん「そうなんです。やっぱり怖いし、寂しいんです。私はやっぱり女性だってそういつまでも、実感していたい…。」
この答えを聞くと、多くの人は、
「でもあなたそりゃ、自分勝手よね。」
「筋違いよね。」
って言いたくなる。
でもこういうのは簡単。
「その寂しさとあなたが不倫することは関係がない。正直女でいたいと言っておきながら、やっていることはただの自分勝手。」
と。
でも、そこには救いがない。
って僕は思う。
人は間違いを犯す。
でも、人は同時に許す事も出来るからだって言いたいところだけど、
でも…、でもでも、やっぱり許しは難しい。
そして、同時にこういう相談って僕は”ずるさ”を感じる。
それは、こういう話しをする時、
人はやっぱり許してほしいからだ。
同時に、なんて馬鹿なことしているんだ!って責めてほしい。
叱っても欲しいからだ。
人って複雑。
怒ってくれたら、叱ってくれたら楽なのだ。
心のどこかでずっと分かっているから…、ダメだって。
だからそれを思いっきりはっきり言ってもらうと、
どこかでほっとするのだ。
どこかでやっぱりそうだよねって。ほっとする。
これで終えられるんだって。ほっとする。
でも、相手に叱ってもらって、気づいて辞めようと思うのも、
なんだかずるい。
だって、自分で分かってたはずだから。
そして、人は同時に、やっぱりどこかこうも期待する。
「あなたは悪くないよ」って、人に許してもらうことを。
認めてもらうことを期待する。
そう、人ってやっぱりずるい。
本当は許してほしい。
でも、自分じゃ自分を許すことができないから、
人に期待する。
ほら、やっぱり人ってずるい。
だから、あなたは悪くないですよ。って、
僕は最近あんまり言わないようにしている。
そう声を掛けてほしいのが分かっても。
僕は最近あんまり言わないようにしている。
だって、やっぱりずるい。
そして、許すのは僕じゃないでしょ?って言わなくても、
あなたもそれを知っている。
だから、やっぱりずるいのだ。
怒って欲しいのも、許してほしいのも。
でも、そのずるさがあるのが人間だ。
だから、僕は、その両方のずるさをもった目の前の人と対峙した時に、
批判もしない、僕がその人を許すこともしない。
それは僕もやっぱりずるさをもった人間だからだ。
だから僕は、そのずるさを使って、
許したり、怒ったりする役割を降りて、
「ん~どうしましょうかね。」なんて言ったりする。
かけてほしい言葉を知っておきながら、
その言葉を掛けない僕はやっぱりずるいのだ。
でも、両方ずるいからお互い様でしょ?
ふふんって、鼻を鳴らしてそう思う。
同時に僕はこうも思う。
そのずるさが”人間”だよね。って。
だから、僕はこうも思うんだ。
怒られるずるさをもってもいいし、
許してほしいずるさをもってもいい。
でも、いつしかそのずるさで覆い隠されていたヴェールを、
自分で降ろさないといけないよって。
今は人の力を借りてもいいけど、
いつかそのヴェールは自分で降ろすんだよって。
だから、今それを決める?
それとも後にする?
って、僕はあなたに言うんだ。
もちろんずるいからそんなことは言わずに…、
長嶋さんのように、
「ん~どうでしょうね。」ではなく、
「ん~どうしましょうかね。」って、
一緒に考えるふりをして。
そう、僕もあなたもずるいんだ。
※Aさんのお話は一部本当で一部フィクションです。
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