「強くならなくちゃ!」
例えば、
振られた時、
傷ついた時、
悲しい時、
仕事で辛い時、
そう励まされる時ってありますよね。
でも、そんな必要ってあるのかな?
ってふと思うと事がある。
その人たちのいう事が、
気丈に振る舞うこと、
泣かないこと、
我慢すること、
傷つかないことを指しているなら、
そんな必要あるのかな?
ってふと思う事がある。
大体そういう人たちは、「強さ」ってものを勘違いしている。
傷つかないのが強いって思っている。
我慢することが強いって思っている。
振られても前を向く事が強いと思っている。
仕事でひどいことを言われても、耐えることが強い事だと思っている。
でも、強さってしなやかさのことなのだ。
ただ硬いだけなのは、強くないのだ。
ただ響かないのは、強くないのだ。
強いって、しなやかなのだ。
しなやかってことは、弾力があるんだ。
弾力があるってことは、いったん受け取る事が出来るってことだ。
ぐにゃって曲がることができるってことだ。
だから、時には真正面から受け取らないことだって出来るんだ。
だから、耐える必要がない事だって沢山あるんだ。
だから、受け取らないことも強さなんだ。
ぐにゃって曲がるってことは、曲がった分だけ、
反動をつけて跳ね返すことができるってことだ。
僕たちは人間だから。
生きている生身の人間だから、
酷いことを言われたら、我慢したくない。
しなやかにぐにゃって曲がって、跳ね返したい!
「ふざけんな!」って跳ね返すんだ。
でも、ショックがあまりに大きくて、傷ついた時、
僕たちはふらふらになるんだ。
でも、僕たちはしなやかだからショックを吸収できるんだ。
どんなに強くぶつけられても、ショックを吸収できるんだ。
でもでも、そのためには硬いままじゃダメなんだ。
ショックを吸収するには、衝撃を体の中に一旦流さないといけないんだ。
ショックを体の中に流せば、それを今度は外へ流すことが出来るから。
だから、ショックを受けた時、
顔をぐちゃぐちゃにしていっぱい泣くんだ。
傷ついて悲しくて、苦しかったら、
「悲しいよ!」って、「苦しいよ!」って、「何でよ!」って、
叫んで泣くんだ。
ショックを体の中に流して、外に出すんだ。
泣かないのは、強さじゃない。
我慢するのは、強さじゃない。
辛いものを辛いと受け止めて、
悲しいものは、悲しいと受け止めて、
嫌なものは、嫌だと受けて止めて、
それを体の中に流して、
そしてそれを出していく。
そのしなやかさが僕は強さなんじゃないのって僕はふと思う事がある。
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