感情のケア

ご相談頂いた際は、話を聞くだけではなく感情をケアする試みも行っております。
私たちが悩むのは、感情がわだかまっているからです。
例えば、ついつい親に対してイライラしてしまうのは、怒りの感情を抱えているからですね。
この時に「頭(思考)」で考えて、「自分だって悪かった。」と納得できれば、その怒りは静まります。

一方で、そうはいかない場合もあります。
「頭(思考)」で考えても上手くいかない場合です。

頭では「自分だって悪かった。」と思っても、”ついつい”イライラしてしまう。
そういった場合は、怒りの感情がわだかまりを抱えている(こじれていて)為、
頭でいくら考えても、ただ話を聞いてもらうだけでは、なかなか解消できません。

悲しみも同様に、例えば、人に傷つけられたり、悲しい出来事があった時、
その悲しみは、「頭(思考)」でしょうがなかったと納得しようとしても、
話を聞いてもらっても、なかなかおさまらず、解消できません。

僕たちは、感情に対する対処方法を学んでこなかった為、
こういった「感情のわだかまり」を抱えた時に、
「我慢する」か、「感じようないようにする」試みをしがちです。

勿論、この対処法でうまくいく場合もありますが、ほとんどの場合うまく行きません。

それは、感情に対する対処方法が少し間違っているからです。
実は感情は、「発散」するか「感じる」ことで解消されていくものなのです。

このように、怒りは「発散」、悲しみ「感じ尽くす」ことで解消していきます。
そう、僕たちが普段している対処方法とは逆なのです。

怒りの発散とは、怒りを体から出すこと。

怒りの発散とは、誰かに当たったりすることではありません。
誰かに怒りをぶつけてしまうと、自分も相手も結局傷つけてしまい、
余計に怒りがたまってしまうことがあります。

ここでの怒りの発散とは、健全な方法で吐き出す事です。
例えば、「言えなかったこと」を言葉に繰り返してもらったり、
体を動かしてもらう取り組みを通して、発散してもらったり、
古典的な方法で行くと新聞紙を丸めた紙でクッションなどを叩いてもらったり。
といったような様々な方法で体から怒りを出す取り組みをしていきます。

悲しみは感じ尽くすことで、癒えていく。

悲しみを感じ尽くすとは、悲しみを感じた時に僕たち感じないようにしがちですが、
その逆のことをして頂くことがあります。
それは、その悲しみとどまり、その悲しみを感じてもらうのです。
時に、その悲しみを言葉にしたり、イメージを用いたり、
色々な方法で悲しみを味わってもらいます。

なぜそんなことをするのかというと、悲しみは感じ尽くす事で癒えていくからです。

なかなか感情が静まらない時は、感情のケアが必要なのです。

ご相談では、こういった感情のケアをするお手伝いもさせて頂いています。

自分をいたわる

心の声を聞く

認知の歪みに取り組む