喪失の五段階からみる悲嘆

こんにちは。西船橋 カウンセリングルーム こころ音 野川です。

あなたは、エリザベス・キューブラー・ロスという人を知っていますか?
この方は、ドイツの精神科医でグリーフケア(悲嘆のケア)の第一人者です。

その方が、大切な人を亡くした方をみてきて、
その喪失から自らを取り戻していくプロセスを5段階に分けたのです。

それが”喪失の5段階説”です。

もちろんこれは、あくまでも自分が喪失体験をした時、
身近な人が喪失体験をした時にサポートする際の一つの指針でしかなく、
すべての人がこのプロセスを通るという事もなく、
順番も逆になることもありますし、3段階目から始まる人もいるでしょう。
喪失体験はごく個人的な体験で、人によりその過程も違います。

つまり、喪失を理解して、それに対処してく為の一つの枠組みである。
ということだけこれからその5段階を見ていく前に念頭においてください。
※より詳しい説明が欲しい方は、キューブラー・ロス、デーヴィット・ケスラー共著「永遠の別れ」を読んでみてください。 この5段階もこの本を参考にしています。

1:否認

これは5段階目の最初の段階です。
大切な人が亡くなった時に、僕たちはとってもショックを受けて、
何が起きたんだかわからず、ぼ~っとするような、
なんだ体全体が麻痺するような感覚に陥ることがあります。

それはショックが大きいゆえに、こころが急なショックで
これ以上のストレスがあなたの心にかかることで、
あなたが壊れないように対処してくれているのです。
PTSD(外傷後ストレス障害)、俗にいうトラウマ体験をした時も、
同じように急なストレスから無感覚になる事があります。

このような事が大切な人を喪失した際におきるのです。

そして、大切な人が亡くなったという事は頭ではわかってていても
いつもの時間に家に帰ってきても、あの人がいないということが、
どうしても信じられないのです。

もう少ししたら、帰ってくるはずだ。
何で昨日までいたのに?
本当に死んでしまったの?あのドアを開けたらほらいるんでしょ?

と、そう思って、現実を疑う気持ちが出てくるのも否認です。
否認したくなるのも当然です。
ついこの前までいて、ずっといままでいた大切な人がいなくなるのですから。
信じられなくて当然なのです。

そして、この否認のおかげで、僕たちのこころは、先ほども書いたように、
急に喪失にまつわるすべての気持ちが襲ってきたらもう、その重荷に耐え切れず、
僕たちは、喪失から立ち直る事はできない、そこで、喪失体験という、
悲嘆から、こころが自分を守るために、感情を鈍麻させて、
なんとかでも保つことができているのです。

この否定の段階も終わりが近づいてくると、
どうしてそうなってしまったのか?
という事実を理解しようという気持ちが湧いてきます。

なぜ、あんな出来事が起きてしまったの?
原因は何だったのか?
どうやったら防げるのか?

といったように、事実を究明しようとする気持ちが湧いてきます。
しかし、そうすると今まで急なショックにより、こころが感じないようにしていた、
喪失に対するいろんな気持ちが湧き出てきます。
それが次の段階の「怒り」につながります。

2:怒り

今まで、否認することで蓋をしていた気持ちが徐々に、時に急に開き、
悲しみ、孤独、パニック、後悔、絶望などの様々な気持に襲われる。

その感情の波に圧倒される中で、一番激しい波が怒りです。
怒りはこういった気持ちの波の中でも、強く出てきて、
様々な方向性を持ち、理屈とは無縁に湧いてきます。

■相手への怒り
・なぜもっと自分を大事にしてくれなかったんだ。
・もっとあの時に愛してくれなかったんだ。
・なぜあんなことを私にしたんだ!
・なんでもっと早くいってくれなかったんだ!
・何で私だけ取り残して先に逝くの…。

■自分への怒り
・なぜ変化に気づいてあげられなかったんだろう?
・もっと自分があの時に話しかけていたら。
・あの時に喧嘩なんてしなかきゃよかった、それが最後になるなら…。
・もっと愛をもって接すればよかったのに、なんで自分は…。
・愛してるってもっといくらでも言えたはずなのに!

■第3者への怒り
・医者がもっと適切な処置をしてくれていれば今頃!
・あの時ちゃんと検診してくれていれば!
・あの人が飲みになんて誘わなければ、今頃の主人は…。
・もっと安全確認を徹底していれば…。

なんで自分だけに、なんであの人だけに、人生はなんて残酷なんだ。
喪失という不公平な体験に対して、何とかしようとする自然な気持ちが
怒りですから、湧いてきて当然の気持ちなのです。

そして怒りは、一般的に健全ではない気持ちだと判断されがちですが、
それは間違いです。

もちろん、日常生活において、怒りを出すことが適切である場合は
少ないかもしれまん。

でも、喪失という受け入れがたく、苦しく、悲しく、
辛い体験によって怒りが生じるのは、自然なのです。

そして何より、怒りが湧いてきたということは、
前進してきたという一つの証でもあるのです。

怒りの背景には、喪失に関する様々な気持ちが隠れていて、
怒りを感じて、怒りを出していくと、その怒りに隠れていた
悲しみ、孤独、寂しさ、などの痛みが出てくることがあるからです。

従って、怒りが湧いてきた時に大切なのは
その怒りを感じて、怒りを出すという事です。

誰かにあたったり、物にあたったりすると、
相手も自分も傷ついてしまう事がありますから、
一人部屋でふとんをかぶり思いっきり叫んでみたり、

タオルを、枕や布団にぶつけて、怒りを出す、
走ったり、スポーツをしたり、とにかく体を動かして、
そのたまった怒りというエネルギーを出すという”行動”が大切です。

気持は行動によって、出す事が出来るからです。

怒りを感じ、怒りを吐き出すと、
喪失の悲しみや痛みが出てきます。

失ってしまった取り戻す事ができない大切な人の存在
失ってしまった愛する人との繋がりや愛

そのつながりや愛が大きければ大きい程、
その痛みは強くなり、私たちを苦しめます。

でも、それでも苦しんでいる時は信じられないですが、
その痛みの中には、愛や意志はいつだってあるんです。

3:取引

大切な人が死の淵にいる時に、
「神様、もう何でもしますから、悔い改めますから、だからあの人を助けてください。」
といって、神様と「取引」をする段階がこの段階です。

そして、多く場合は
「もし、あの時に~をしていたら、そうしたら今頃…」
といったように、後悔や罪悪感を生じさせ、私たちを苦しめます。

「もし、あの時に話しかけていれば・・・」
「もし、このまま・・・」

こういった”もし”という気持ちは、喪失の痛みから
一時的にでも離れる働きでもあるのです。

もし~していれば、今頃はこうだっただろうという思いの中にいる事で、
大切な人がいないという現実から目を背ける事が出来ます。

それによって、その痛みを直に感じることを避け、
その痛みを少しでも感じなくて済むのです。
キューブラーロスはこれを執行猶予という表現で語っています。

でも、この執行猶予がある為に、死という現実に対して、
人は、受け入れていく時間ができ、受け入れる準備が出来るのです。

そして、この取引をいくら繰り返しても、
悲しい事ですが、愛する人が亡くなったという事実は変わりません。

結局、その事実を受け入れていくことになっていくのです。

4:抑うつ

取引の段階が終わりを告げると、次がこの抑うつの段階です。

もう愛する人はなくなってしまって、
いくら頑張っても、怒っても、帰ってこないんだと
そう気づいてしまった時です。

より深い深い悲しみが訪れて、引きこもり、
誰とも会いたくもない。

大切な人が亡くなっているのに、なぜ自分は生きているんだろうか。
なぜ自分はここにいるんだろうかと、
生きている意味すら、この場所に存在している意味すらわからなくなる。

笑う事の意味も、働く意味も、人生の意味も、
健康でいる意味も、誰かと話したり、
世の中の動きを見る為に新聞やニュースを、TVをみる気力すらわかず、

その場から動く事すら、辛い。

胸にぽっかりと穴が開いて、
虚しさや、切なさが急に訪れ、涙にくれ、
一人孤独を感じ、人生から引きこもる。

でも、これはごく自然で当然のこころの働きなのです。
だって、愛する人を、大事な人を亡くしたのですから。

喪失最中にいる時に、前を向く気力何て湧いてくるわけがありません。

悲しくて、苦しくて、痛くて、寂しくて、孤独で、
涙が止まらなくて、何もやる気が起きないんです。

当たり前です。

故人を悼むプロセスが抑うつです。
大切な人の死を嘆き悲しみ、おもう存分涙を流して、
悲しんで、苦しけれど、それが抑うつから離れる方法なのです。

言葉はおかしいかもしれませんが、
しっかりと、大切な人の死を悲しみ、
そのいきれなかった人生に涙し、
一緒にいきれなかった人生に涙し、
一緒に味わいたかった喜びが、
もう手に入らない悲しみを感じ、
失われてしまったそ愛を嘆ことです。

それは喪失の痛みと共にいるという事です。

もちろん一人でいると苦しくて辛くて、
逃げ出したくなる、目をそむけたくなるでしょう。

そういう時は友人や家族に傍にいてもらってください。
誰かを頼って下さい。
あなたは一人で生きているわけではないのですから。

5:受容

悲嘆の中を一人で進み、出口も見えずに
暗い悲しみの中を進み、
その悲しみの中にあるものに気づくと、

悲嘆は終わりを告げ、受容の段階へとうつる。

この段階は、死を受け入れ、
もうその死が取り戻せないことを受け入れ、
大切な人と過ごすはずだった未来をあきらめ、
その死と共に訪れた、新しい現実と共に
歩いていくという決意をすることです。

このプロセスを経て、
愛する人が自分に残してくれたこと気づき、
愛する人がどんな人であったか
どれだけ自分は愛されていたのか
というその愛と共に生きることです

文字に書くと簡単にみえるが、
そう簡単にこのようにいくわけではなく、
この悲嘆の5段階のうちを行ったり来たり、
進んだり戻りながら、
悲嘆を受け入れて、人は乗り越えていく。

人生において喪失は、とても大きなことで、時間が必要です。
そして、時間とともに大切になるのが、
少しずつ自分の気持ちと向き合っていくことだと思うのです。

決して無理をせずに、
無理やり前を向こうとせずに、です。

悲しみに暮れるあなたを見ると、
周りの人は励まし、前を向かせようとします。

でも、一つだけ覚えておいてほしいのは、
いつその悲しみが終わるのかを知っているのは、
あなただけなのです。

どのくらいの期間が喪失を癒すのに必要なのかを
しっているのはあなただけなのです。

前を向こうと、乗り越えようと決めていいのも、
あなただけなのです。

それほど大切な人だったからこそ、
じっくりと時間をかけて故人を悼んでください。
そして、願わくば、そんな悲しみが急に訪れた、
あなた自身をいたわってください。

世の中には予期せぬ出来事も起きます。

あなたのせいではないんですから。

そして、もし、その悲しみをその痛みを
何とかしたいとそう思った時や、
一人では乗り越えられないと、
そう思った時は、あなたの隣で寄り添う事が出来れば幸いです。

グリーフケアカウンセリング

野川  仁
・元引きこもりの心理カウンセラー
・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・(一社)日本心理カウンセリング協会 代表理事
現在は、都内のクリニックでカウンセリングも行っている。

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