罪を償う勇気。前を向く勇気。
罪悪感は、僕たちの心をむしばみ、
「罪深いことをしてしまった。」
「許されないことをしてしまった。」
「自分を許す事なんて到底できない。」
そう自分を責めて、
「だから自分は、楽しんではいけないのだ。」
「だから自分は、笑ってはいけないんだ。」
「だから自分は、この重荷はもっていなければいけないのだ。」
と僕たち自身を罰します。
罪を償うこと。
それはとても大切なことです。
でも、自分を罰し続けるのはとてもつらいものです。
僕もさんざん自分を罰し続けてきましたから(^^;
自分を罰する気持ちは、少しはわかっているつもりです。
自分を罰したいときもありますし、
それが必要だと感じる時もありますから、
僕は罪悪感を感じていてもいいと個人的には感じています。
ただ、あまりにも辛い場合や、
罪悪感にふさぎ込んでいる時は、
少し視点を変えてみてもいいんじゃないかなって、
そう思うのです。
それは、「自分を罰することで償う」こと以外にも、
償い方はあるからです。
自分を罰して、自分の痛みを当然だと引き受け、
自分にあらゆる楽しみを禁止する。
つまり罰を受けることで償うこと。
それも一つの方法ですが、
そうやってただ痛みを受けて何もしないという選択をするより、
顔を上げて、前を向こうとして、
償おうとすることも、
一つの償いじゃないのかなって、
僕は思うのです。
「ただ受ける」という選択よりも、
積極的に償う為に「何かをする。」という行動の方が、
きっともっと辛いのですから。
そして、「痛み」をずっと抱えて続けることで、
自分がしてしまったことを思い出し、
相手と同じ痛みを感じる続けることも一つの償いでしょう。
でも、もしかしたらそれは相手の痛みというよりも、
自分だけが感じている痛みかもしれない。
相手の痛みはわかりません。
そして、相手はとっくにあなたのことを許しているかもしれません。
それなのに、自分は持ってなきゃいけないのだ。
と思っていることは、もしかしたら相手のことを考えてなくて、
自分のことだけ考えているのかもしれません。
それは、相手はもう許していて、
相手は、もしかしたらあなたがその痛みを感じていることで、
前に進みづらいと感じているかもしれないからです。
ずっと痛みを抱えているよりも、
相手の方を向いて、
相手が幸せになるように、
ごめんなさいと、ありがとうの気持ちを込めて、
相手の幸せを毎日祈ることもまた償いなのではないかなって、
僕はそう感じるのです。
罪を償うのにも勇気がいる。
前を向くにも勇気がいるの。
痛みを感じることで償うことも、
痛みを感じつつも、償おうと前を向くことも、
痛みを降ろして、相手(自分)の幸せを願い償うことも、
僕たちはできるのだ。

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