豊かな時間があったからこそ、
何度振られたとしても、どんな思いをしたとしても、
何度でもまた付き合いたいな、パートナーが欲しいなって、
そう思うものですよね。

僕は、以前お付き合いしていた方と、
共依存のような関係にありました。

でも、この共依存って恋愛じゃないんですよね。
悲しいんですけど、お互いに依存しあっている状態です。

もちろんダメなわけではなく、
お互いに自分の中にある気持ちに気づいて、
自立していく為に必要なプロセスなもかもしれないと、
今なら思います。

ただ、その時は正直わかりませんでした(^^;
当たり前なんですが(汗

今日はこの共依存にちょっとだけ書いていきます。

共依存とは、お互いに自分がいないとダメだと強く感じる状態

共依存って、上述したように、お付き合いをしている時に、
「あの人には私がいなきゃダメだ!」
「私がいないとあの人はダメになっちゃう。」
「私があの人を助けなくちゃ!」
って、そう思ってしまうことが特徴です。

これをお互いに思っているために、結びつきも強いんです。

なぜこういう風に思うんでしょ?

それは、人は、誰かに必要とされたいし、
この世に存在する意味を求め、
誰かの力になる事で、自分の存在を感じることができるからです。

これを感じることができると、日々生活が安定していきます。

パートナーとの繋がりを心の中でも感じることができて、
一人じゃない、必要としてくれる人が、愛してくれる人がいる。
という安心感が生まれるのです。

これは、何も共依存に限ったことではなくて、
僕たちが赤ちゃんの時に、母親から自立する過程でも、
同じようなことが起きています。

生まれた時は、母親と赤ちゃんは一心同体です。

でも、徐々に境界線が出来て来て、
私と、母は違う存在であると意識し始めます。

それでも、母親はすべてを受け止めてくれる存在で、
生きる上で支えてくれる大切な人です。

ハイハイが出来るようになると、
いつも抱っこされてくっついてた母親と離れていくことができるようになりますよね。

すると、不安が生まれてきます。恐怖もきっと生まれてくるわけです。
それは、母親と離れることで肌レベルでの「繋がり」を感じることができないからです。

だから、ハイハイしてちょっと遠くへ行くと、
後ろを振り返り、存在を確認してまたちょっと遠くへ、
そして、不安を感じると泣きながら戻っていきます。

「あら?仕方ないわね?怖かったね~!大丈夫?」

と受け止めてくれる母親のところへ。
そして、徐々にそんなつながりを心の中に感じる事が出来るようになると、
母親が安産基地になり、その基地をベースに不安になったら戻り、
また外の世界へと探索をする。

そんなことを繰り返して、徐々に外の世界へいけるようになります。
そう、誰かとつながっている、誰かに愛されているという絶対的な安心感を持って。

このように、人が自立していく過程でも同じような事が起きているんですが、
共依存の場合はちょっとそれが過剰なんです。

共依存の影には”見捨てられ不安”があることも。

人は心の繋がりがあって、安心して自立した関係を築いていくんですが、
共依存のケースですと、そうはいかないのです。

やっぱり一人になるは、どうしようもなく怖いわけです。
「また一人になったら、どうしよう…。」
「見捨てられたらどうしよう…。」
そんな不安を”見捨てられ不安”といいます。
一度得た愛を手放すのは誰でも怖いですが、
通常であれば、しょうがないと割り切れますが、
共依存の場合だとそうはなかなかいかんのです。

パートナーに見捨てられないように過剰に相手に尽くそうとしたり、
過剰に相手のことを気にかけたりします。

その根底にあるのは、「孤独」や「寂しさ」、そして…。

根底には、「孤独」や「寂しさ」があるわけです。

どうしようもない寂しさや孤独をあなたは感じた事がありますか?

もうね、誰でもいいからぬくもりを感じて安心したい。

そんな気持ちが湧いてくるんです。

だから、好きでもないのに恋愛関係になったり、
体の関係を持ったりすることがあります。
(結局お互い傷つくんですけどね。)

それもやっぱり、ぬくもりを、繋がり感じたいからなんです。
そのつながりを感じて、自分の揺らいだ存在を安定させて、安心する為にも。

そして、寂しさの奥には誰からかの「愛」を求める気持ちもあります。

そう、本当は誰かに愛して欲しいんです。
大切に大切にされたいんです。

共依存は、互いに孤独や寂しさを感じ、愛を渇望している状態とも言えます。

それで、人は、孤独やどうしようもない寂しさや、愛が欠けていると、
どうしても気持が不安定になりがちですよね。

例えば、パートナーと離れそうになった時に、
無意識的に、自分のことを傷つけてでも、
相手を引き留めようとしたりします。

離れようとしたときに、相手にいろんな事が起きて、
なかなか離れられなくなるんです。

本当にいろんなことが起きます…。(遠い目)

それで、結局戻らなくてはいけなくなるんです。
だってやっぱり好きですから、力になりたいって思うし、助けなきゃて思うじゃないですか。

でも、こう思ったら最後、深みはまっていくんです。

あなたはその人を救う事ができますか?

では、どうやって抜けていくんでしょう?

その前にちょっと質問です。
「あなたは、パートナーを救う事が出来ますか?」

「いやだって、そんなことじゃなくて私がいなきゃダメになっちゃんだよ!」
「最悪、死んじゃうかもしれないんだよ。」

って、あなたは思うかもしれない。

でもね、あなたがいなくてもその人は生きていけるんです。

もしかしたら、残念なことだけれど、あなたがいないほうがその人はよりよく生きていけるかもしれません。
だって、本当の意味で人は人を救うことはできないから…。

助けなきゃって思うってことは、その人に一人で立つ力が今はない。
と思っているということです。

その人が一人で立つ力をあなたが奪っているかもしれないんです。

カウンセリングにおいても、そんな気持ちが湧いてくることがごくたまにあります。
でも、そんな時は大抵うまくいきません。
それは、カウンセラーが自立する機会を奪ってしまうからです。

その機会を奪ってしまった為に、一人では解決できなくなり、
結果的にカウンセラーがいないとダメな関係になってしまうんです。

恋愛における共依存関係も同じなんです。

一時的に力を貸すことはもちろん大切です。
でも、その孤独も寂しさも、愛の欠乏すらも、
こちらが最善のことをしたら、あとはもう相手に任せる事しかできないんです。

目の前の相手が、一人で立てるように信じて見守ることしかできないんです。

いくら相手があなたを引き戻そうとしても、戻っちゃダメです。

助ける関係は、悲しい結末を迎えます。

互いにいっぱい傷ついて、傷ついて、、、。

それでもいいならいんですけれど、そうではないと思います。

見捨てててしまうような気持や、
どうしようもない寂しさや、
大切にしてもらった思い出や、
力になりたいっていう気持ちが出て来たら、
どうか、さらにその心の奥から湧いてくる気持ちを感じてみてください。

寂しさは、あなたに相手とのつながりをいつでも思い出させてくれます。
同時に、寂しさの奥にある、沢山してもらったことや、一緒にいた時の気持ちや、相手に対する感謝を感じてください。

見捨てるわけではなくて、相手が今度は”あなたがいなくても”、一人で立てるようにする為です。
罪悪感を感じることもあると思います。

でも、お互いに共倒れになるより、お互いにまた歩いていく為の一歩です。
罪悪感をただ背負って、ただ自分を責めて生きていくよりも、相手の幸せを願い、
前を向いて、自分の人生を精一杯生きていくことが償いになることがあります。

相手も本当に好きだったなら、あなたに自分の人生をきっと歩んでほしいと思っているはずですよ。

お互いに依存した関係を卒業していくには、強い意志が必要です。

戻ったり、離れたりを繰り返すかもしれませんが、それでもあなたが少しでも、
自分の人生を歩めるように願っています。

野川  仁
・元引きこもりの心理カウンセラー
・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・(一社)日本心理カウンセリング協会 代表理事
現在は、都内のクリニックでカウンセリングも行っている。

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