「~しなければ。~すべきだ。」
という思考を認知療法では、
「すべき思考」と呼び、
それが心の苦しみを生み出すとされている。
エリック・マーカスというゲシュタルト療法の方も、
あるビデオで次のように言っていた。
「日本は、shouldというウィルスで侵されている。」と。
言葉は正確に覚えていないけれど、このようなことを言っていたのだ。
確かに僕たちは、
すべきことを、
こうあるべきだと感じることを
毎日この瞬間もしている。
「○○になるのだからこれくらい当然すべきだろう。」
こんな思いが僕たちを支えて、
成長させてくれた。
でも、すべきことが多くなると、
苦しみも生んでしまう。
優秀であるべきなんだ。
常識は身につけてしかるべきなんだ。
常に無駄なくさなければいけない。
綺麗で・清潔であるべきだ。
成長しなければいけないんだ。
頑張らなければいけないんだ。
逃げるべきではないんだ。
完璧でなければいけない。
結婚しなけれいけないんだ。
恋人はいなければいけないんだ。
一人暮らしをしなければいけないんだ。
家族を喜ばせなければいけないんだ。
ベストを尽くさなければいけない。
満足してもらわなければいけない。
こんな思いが僕たちを駆り立て苦しめる。
そしてこの「すべき思考」には、
正しさが付きまとう。
つまり、そのすべきことが正解なんだ。
だからそれをすべきなんだ。
ということだ。
でもこの世の中は、正解ばかりではない。
正しさで測れないことも沢山ある。
それでも、僕たちは外へと自分の目標や基準を置いてしまう。
すべきことばかりに心を奪われて、
正しさやすべきこととは別に存在している
自分の中の「したい」や「好き」を忘れてしまう。
すべきことをしていくことは、
この世界に適応していく上でとても大切だ。
だからこそ、すべきことを十分やってきたら、
こうあるべきことを十分にやってきたら、
今度は誰かの為に生きるのではなく、
外側のこうあるべき基準に自分を合わせるのではなく、
自分の為に生きるんだ。
自分の内に基準を戻すんだ。
自分の為の生き方を見つけるんだ。
自分の為の喜びを見つけるんだ。
小さなことから始めよう。
”今”自分が楽しめることは何だろう?
”今”好きなことは?
”前に”好きだったことは?
”今”喜びを生活の中に見つけることが出来るとしたら何がある?
誰かの為じゃなくて、
自分の為に存在してあげよう。
自分の為に喜んであげるとしたら、
どんなことで喜びたい?
自分の為に生きるんだとしたら、
何を今自分の為にしてあげたい?
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