最近、友人のおばあちゃんが亡くなりました。
たまたまた、その友人が電話で家族から報告を受けた場所に居合わせました。
最初は、なんともない顔をしていたんですが、
突如堪えきれずに、
ひっくひっくと声をだして、泣き出してしまいました。
それもそうです。
家族ですから。
大切な人がこの世を去ったんですから。
そんな深い悲しみにふれる時、
どうしたらいいのかわかんなくなっちゃいます。
その痛みをその悲しみに思いをはせれば、馳せるほど、
掛けていい言葉が中々みつからない。
正解って、ないですからね。
あの時もそうでした。
話を聴いていると、
「自分の周りの人がどんどん死んでいく!」
「なんで自分じゃなかったんだ!自分が死ねばよかったんだ!」
と、嗚咽まじりに泣き始めた方がいました。
その時僕は、ただ横でじっと聞いていて、
その痛みや、その悲嘆にただただ圧倒され、
何かをしなくては!と思うばかりで、
何もできませんでした。
悲しみの中に、深い悲しみの底にいる時に、
何かをしようとすること自体がきっと間違っていて、
ただただ、その悲しみに、
その目の前の人に寄り添うことが、
何かをしようとすることよりも、大切なんだと。
今ならわかります。
悲しみの中にいる時は、
ただただ、そこに一緒にいてくれる人こそが必要なんだろうと、思います。
それすら必要なく、
一人でいる時間がたいせつな時ももちろんあります。
悲しみは苦しくて、
涙がとまらずに、
こころがぽっかりと空くけれど、
空いたままには決してならずに、
それが埋まるときがきます。
そして、ぽっかりと空いたけれど、
どうにかしたいなって思う時が、
これじゃだめかもしれないって、
このままではだめだって、
そう思う時がきます。
時間はきっとかかるけれど、
その時に、あなたにお会いできたらいいなと思っています。
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