僕たちは、人の痛みに耐えられない。
自分の苦しみよりも時に苦しいのかもしれない。
大切な人が苦しんでいる方が、
時に自分の痛みよりも苦しく感じるのかもしれない。
それは、自分ではどうしようもできないからだ。
自分が痛みを感じることも、
それを肩代わりすることもできないからだ。
自分だったら、我慢出来たりするけれど、
人が痛むその姿を見て、
僕たちは何もできない。
出来るのは、ほっぺたをつねって自分の痛みを感じることくらい。
涙をこらえて唇をかむくらいだ。
そして、そうやって僕たちは目の前の本人が苦しんでいる姿をただ見ているしかない。
そう、僕たちは無力感に苛まれる。
目の前で起こることに対して、何もできないほどしんどいことはないのかもしれない。
病に倒れ、それを看取るしかできなかった方の話を聴いて僕はそう感じた。
そして、身体的な痛みはないにせよ、
心は締め付けられ、釘を打ちつけられたような心の痛みを感じ、
目の前で苦しむ方に対して、その痛みを見せることも出来ず、
闘っているその方を目の前にして、
自分は弱音を誰にも吐けず、
ずっと閉まっておいたその痛みにもう心は飲み込まれ、
あなたもまた限界なのに、
必死で支えるその姿は、
助けたい気持ちと一緒に、
あなたもきっと「助けて!」と叫びたかったのだろうと、
そう感じたのでした。
僕たちには、支えてくれる人が必要だ。
そして、
そんな支えてくれる人にも、
誰かの支えが必要なのだ。
誰が一番つらいとか、
そんなつまらない話ではなくて、
みんな痛みそれぞれ痛みを抱えているのだ。
支える人、
支えられる人。
皆誰かの支えが必要で、
その誰かも、
誰かの支えが必要だ。
それがきっと支え合いなのだ。
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