自分を律するということは、
こうすべきとか、あ~すべきとか
そういった世間一般の常識で判断するのではなく、
親から教えられた価値観で物事を判断するわけでもない。
また、自分の欲求を我慢するわけでもない。
自律とは、そうではなくて自分の規範で積極的に自分をマネージメントしようとすることです。
僕たちは、日々いろいろな気持ちが生じてくる。
これがしたい。あれがしたい。
これはいやだ。めんどくさい。
そういうフロイトでいう所のイド(根源的欲求)をそのまま表出するのでもなく、
それをスーパーエゴ(超自我:親からの取り入れた価値観・世間一般の価値基準)で、
抑えるのではなく、
それを大人な自分(自我)でそのイドとスーパーエゴのバランスを取ること。
これが自律です。
ちなみに自制とは、コントロールをすることであり、
イドから生じてくる欲求をコントロールすることです。
自律はコントロールではなく、
自分という存在をマネージメントすることです。
つまりイドとスーパーエゴのバランスをとり、
自分の為に積極的にその時々の気持ちのバランスを取ろうとすることであり、
その結果が自らが望む方へと向くように”意志の力”を用いること。
これが自律であると、僕は先生からそう教わりました。
そう考えると僕たちは、自制(コントロール)はするけれど、
自律(マネージメント)はしていないかもしれないなと、
そんなことを感じます。
親からの価値観や、世間のこうすべきという常識や基準から離れ、
自分が望む方向へと積極的に自分を向けていく。
つまりマネージメントしていくこと。
そして、感情や欲求=自分というように絶対的なものではなく、
数ある気持ちの一つとして相対的に捉えていく。
その上で、その瞬間に自分にとってベストな方向を選んでいく。
勿論それがその気持ちに従うことかも知れないし、
それを今は二の次にすることになるかもしれません。
いずれにせよ、
誰かに言われたから、そうあることが正しいからといった理由ではなく、
自らがどうしていきたいかを一つの規範として、
それに向かって自らをマネージメントしていく。
そして、自ら選ぶということは誰かから言われたわけではなく、
自らの声に従ったということであり、
その行動の責任を取る喜びも感じて生きていく。
僕たちは、こういった意志のトレーニング(自らを望む方向へと向ける)や、
自分をマネージメントする(自らの気持ちや考えをうまく調整する。)
トレーニングをしてこなかったのかもしれません。
こうあることが正しいとか、常識であるといったことを教わりすぎて、
それらを学ぶ余白がなかったのかもしれません。
だからこそ意志を活性化する喜びも、
自分をマネージメントする喜びもあまり知らないのかもしれません。
我慢するわけではなくて、
積極的に自分が決めたことに対して、
自分を律していく。
その成果を実感する瞬間は、
とても嬉しく、達成感を感じる瞬間でもあります。
例えば僕であれば、痩せたいなと思ってダイエットと筋トレを初めて、
2.5キロ痩せましたし、筋トレは今でも続いています。
めんどくさいな。
やめたいなというイドの欲求は出てくるけれど、
小さい頃に自分と約束した、
大人になってビール腹は絶対嫌だし、
いつまでも身軽でいたいなというものを今でも守っています。
これも一つのマネージメントの例です。
誰かから言われたわけでもなく、
自らが決めたことに対して自分が積極的に自分をマネージメントしていく。
我慢という判定を下してしまうのは、
誰かから強いられたからとか、
世間的にこれが正しいとか、
そういった外の基準を元にしているからの場合が多いのです。
そうではなくて、自らの意志で自らを律していく。
そんな喜びもあるんじゃないかと。
そんな喜びを僕たちは実は小さい頃に味わっているんじゃないかと、
僕はそう思うのです。
小さい頃卓球が好きだった僕は、
朝から晩まで遊びもせずに、
卓球の練習をしていました。
勿論遊びたかったけれど、
とにかく強くなりたかったので、
遊びたい気持ちを二の次に、
自分が望む方向へと心を向けていきました。
きっとあなたにもそんな瞬間があったんじゃないかなと思うのです。
そんな自分を律する喜びに触れたその瞬間が。

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