自分の気持を隠してきた子がいました。
その方を仮にここでは秋子さんと呼びましょう。
秋子さんは薬を沢山飲んでいました。
そして自分を沢山傷つけていました。
秋子さんの両腕には沢山のリストカットの痕。
それを見た僕は、
「どんな人生を歩んでたんだろ…。」
「その痛みはどれほどのものだったのだろうか…。」
と思いを馳せ、
その苦しみや痛みの強さに圧倒されそうになりました。
でも秋子さんは平然と話をします。
でも秋子さんの目には時々涙が浮かびます。
ボーイッシュな見た目の通り、
ちょっと見栄を張っているようすも伺えます。
でもその気持ちを悟らせないように、
たんたんと話そうとします。
でも、たまらず涙を流す時もあります。
だって人は話すことで気持ちを整理したり、
自分の気持をいつもより感じることができるから。
秋子さんも同じでした。
話すことで、自分の気持をいつもより感じたのでしょう。
でも、強がってその気持ちを押し込めようとします。
それは秋子さんの心の癖。
きっと自分の悲しみや気持ちを誰にも悟られないように、
一生懸命に我慢して、時に強がってきたのでしょう。
何で強がっているのだとあなたは思いますか?
僕はこう思います。
きっとその強がりの裏には強い怒りがあるって。
本当は分かって欲しかった人に、
分かってもらえなかったり、受け止めてもらえなかったり、
気持ちを安心して出すことを許されなかったのでしょう。
だから気持ちを出すのではなく隠す術を仕方がなく身につけてきたのでしょう。
受け止めてもらえて悲しかった気持ちと共に、
「こんちくしょ~!」とばかりに、気持ちを見せて何てたまるか!
どうせ分かってくれないんだろ!って、
弱みを見せたらきっとまた攻撃してくるんだろ!って。
その強がりには怒りがあると、僕はそう思ったのです。
でも秋子さんは自分の我慢しているその気持ちに気づいません。
その涙の理由もわかりません。
でも僕はちょっと知っています。
その涙の訳も、その気持ちを引っ込ませてしまうその理由も。
その理由の一つは気持ちを感じてしまうと、
気持に圧倒されてしまうからです。
だから感じないように見せないようにしているようにきっとしているのです。
僕たちの気持ちは、時に苦しみを生みます。
そして、その苦しみはどうしようもない程苦しくて、
どうしようもない時があります。
目に見えない分。
心の痛みの方が厄介なのです。
だからリストカットする方は、
目に見える傷の方が心の目に見えない痛みよりましだからと、
自分を傷つけるのです。
自分の傷を感じる時は、その傷の痛みに意識が向かっていて、
心の痛みから意識が逸れて感じなくなるからです。
秋子さんもきっとそうじゃやないかなって、
傷の数ほど、感じたくない心の痛みがきっと沢山あったんじゃないかなって、
僕はそう感じたのです。
「人は自分を傷付けるなんて痛いじゃん。自分には無理。」って言うけれど、
心の痛みの方が秋子さんにとっては痛いのだ。痛かったのだ。
その痛みは目に見える痛みよりもはるかに痛かったのだ。
だから僕はその傷を見てこう思うのだ。
痛かったね…って。
心が痛かったんだよね…って。
でも僕は秋子さんに意地悪をしたんだ。
それは、気持ちを感じてもらうようにしたんだ。
その気持ちを感じたくなくて、
リストカットを繰り返し、沢山薬を飲んできた彼女に。
酷いとあなたは言うだろか?
でも僕は思うんだ。
僕に話に来てくれている時点で、
心の準備は整っているって。
相談に来るってことは、
今までではダメだって、
心が叫んでいる証拠だ。
だから僕はその声を聴いて、
その声を秋子さん自身が聞けるように援助をしたのだ。
勿論無理やりにではなく。
ゆっくりと…。
逃げていたその気持ちは、決して悪いものではないのだ。
安全な場で、見守られながら気持ちを感じること。
それは自分を傷付けることで守ろうとするのではなく、
本当の意味で自分を大切にする一歩だから。
彼女はその一歩を踏み出したのだ。
僕たちは自分の守り方を知らない。
秋子さんのように。
でも、僕たちはいつでも学び直すことが出来る。
だってそれが人生の醍醐味だから。
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