幼いころにかわいがってくれたおばあちゃん。
僕は幼いころからおばあちゃん子だった。
そんなおばあちゃんが亡くなってから、
母と姉と父と、よくこんな会話をした。
「夢でもいいから会いたいね。」って。
そう、僕たちは夢でもいいからやっぱり会いたい。
思い出でもいいからやっぱり会いたいって、何度でも思う。
おばあちゃんの夢を見たいなって思うと見れないけど、
ふとおばあちゃんが夢に出てくることがある。
それは、僕にだけじゃなくて、家族みんなもそうだ。
それで、朝起きるとおばあちゃんと夢で会った家族は、
必ずこう言う。
「おばあちゃんが夢にでてきたよ」って。
すると、家族は必ずこう言う。
「そっか、いいな。おばあちゃん元気そうだった?」って。
そして、母は必ず僕にこう言う。
「おばあちゃんがひとしのところに遊びに来てくれたんだね。」
「お母さんも会いたいな。」って。
それを聞くと、胸があったかくもなるけれど、
やっぱりちょっと悲しくもなる。
だって、やっぱりおばあちゃんはいないから。
でも、夢に出てきてくれたおばあちゃんを、
「遊びに来てくれてたんだね。」って、
「元気そうだった?」ってそう言葉を掛けてくれる母が僕は好きだ。
元気そうだった?ってやっぱりおばあちゃんのことをいつでも心配している母が僕は好きだ。
たまに、「夢なんてただの夢だ。」って言う人がいるけれど、
夢でもやっぱり会いたいものなんだよって思う。
夢は科学的にもわからなくて、空想って言われるかもしれないし、
自分の都合のいいように解釈しているって言われるかもしれないけど、
それでもやっぱり大切な人とは夢でも会いたいんだよって思う。
夢の中でも故人と会える瞬間は、
例え誰がどう言おうと、大切な時間だ。
そして、故人があなたのところに年に何回か遊びに来てくれる。
そんな時間なんだと思うのです。
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