ども!西船橋のカウンセリングルーム こころ音の野川です。

 

今カフェで記事を書いていたら、隣に4歳くらいの子が来て、椅子を片付けようとしてたら、

 

店員さんがものすっごい笑顔で、「あら、一人で運べるかな?」って両手を広げて、迎え入れて

 

「偉いね~」っていって、椅子を女の子からもらって、ささっと片付けていたんですが、

 

椅子を運んでいる姿が可愛くて、思わず微笑んでいたら、他にも微笑んでいる人がいて、

 

そんな笑顔をみて、ちょっとこころがほっこりしましたさ。

 

さて、そんな風にこころが”ほっこり”とする瞬間て、あなたの人生の中にも沢山あったんじゃないですか?

 

例えば、お母さんに子供のころ抱きしめられたときだったり、誰かに愛してもらった時だったり、

 

僕のように、誰かのやさしさに触れた時だったり、映画・小説を読んで感動した時だったり、

 

いろんな瞬間にこころがほっこりすると思います。

 

それでね、そんなほっこりの中でも、愛情を受け取った時に、なんだか守られているような、大事にされているような、そんな気持ちになった時はありませんかい?

 

いろいろな事があって、自分の人生を振り返り、よく自分はここまでやってきたなって涙したときかもしれないし、

 

自分がかわいそうだと感じて、もうこんな思いは自分にはさせないと思った時かもしれない。

 

このような「自分て、大切なんだ」と、そう思う気持ちを自尊感情といいます。

 

自分を尊ぶ気持ちのことです。

 

生きていく上でこの気持ちは大切なのです。

 

だって、自分を大事だと感じなかったら、自分を傷つけてしまうでしょう?

 

大事だと感じないと、もう限界であるけないのに、まだまだ前に進めるはずだと、自分に鞭をうっちゃう。

 

この気持ちに揺らぎがあると、相手を試してしまいたくもなっちゃうこともあるのです。

 

あとは、自分をなげうってでも相手の為につくしてしまったりもしますね。

 

こんなふうに、自尊感情が満たされていないと、恐れや、不安にさいなまれてしまいがちだったり、

 

自信がなくなったりもするのです。

 

悩んでいるいると、この自尊感情が低下しがちです。

 

だから、カウンセリングではこういった自尊感情を相手が感じられるように、

 

思い出せるような関わり方をしたりもするのです。

 

では、どんなかかわり方をするのかというと、

 

その人が自分の気持ちを受け入れられるように、受容したり、

 

その痛みを、あたかも自分が感じているかのように共感したり、

 

その痛みに言葉を与えて、いたわってもらったり、

 

目の前の人の苦しんででも歩んできた道のりをねぎらったり、

 

そういった取り組みを通じて、結果的に自尊感情がたかまる事が多くあるのです。

 

では、自分一人でやる場合はどうしたいいの?

 

というあなた。

 

安心してください。用意していますよ。

 

キーワードは、受容と、ねぎらいです。

 

「受容」

 

自分の経験を、自分を受け入れるという事です。

 

言葉でいうのは簡単でも、なかなか自分を受け入れる事はできないものです。そういっても!

 

という声が聞こえてきそうですね。

 

ここで、真面目な方は受け入れなくては”いけない”と考えている方も多いと思いますが、

 

しか~し、受け入れる必要のない事もあります。

 

そして、すべてがすべて受け入れらるわけでもないじゃないですか。

 

だから、そういった時は受け入れるに”越したことはない”と考えてみてください。

 

受け入れないといけないわけでもなく、

 

受け入れなくてもいいんです。

 

受け入れられない時は、実は受け入れたくない気持ちと、受け入れたい気持ちがせめぎ合っている時。

 

そんな時は、そりゃ~なかなかその出来事が受け入れられないのです。

 

そういった時に、片方の気持ちだけに肩入れをすると、一方を否定することになります。

 

そうではなくて、受け入れたくない気持ちもある、でも受け入れたい気持ちもある。

 

だから、両方受け入れられるに越したことはないけれど、そんな否定したい気持ちもあるんだと、そう思ってみるのがおすすめです。

 

「ねぎらい」

 

認めなくない自分も、認めたいという自分も、それぞれ自分で、それぞれの言い分があるのです。

 

だから、その両方の自分をねぎらってあげてください。

 

「いや、こんな自分なんて嫌だ!」というあなたも、当然あなたです。

 

「いやいや、こんなん自分じゃない、自分はもっとこう○○みたいない人だ!」というのも、またあなたのですよ。

 

こんな自分嫌だって、じたばたするのも大切ですが、じたばたして嫌だと自分から一見嫌われている自分も、

 

きっとそんな自分を演じたくなかったかったもしれないし、それで生きて来てうまくいったこともきっとあるんじゃないですか?

 

一見不条理に見える自分でも、

 

すべての行動には肯定的(良い)意図がある という教えがあります。

 

そう、一見いやだな受け入れられないなという自分にも、何かしらの言い分があるのです。(良い意味で)

 

そして、嫌だと受け入れたくないとしても、頑張ってきたんです。

 

そんな自分も。

 

あなたも、きっとそうでしょ?

 

完璧なんてありえない。

 

僕も完璧に自分を受け入れているわけじゃないですよ。

 

悩むし、苦しむこともそりゃ~あります。だって、人間だもの・・・。

 

でも、

 

不完全だからこそいいんだと最近はちょっとだけ思えます、本当にちょっとだけ(笑)

 

ちょっとだけでもいいじゃないですか、ちょっとから始めてみましょうよ。

 

ちょっとだけでも、受け入れられたらいいに越したことはないんですからね。

野川  仁
・元引きこもりの心理カウンセラー
・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・(一社)日本心理カウンセリング協会 代表理事
現在は、都内のクリニックでカウンセリングも行っている。

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