・キャリアカウンセラーYさんとの出会い

家から外に出て、久しぶりに外の風を切って、

着慣れないリクルートスーツになんだか違和感を感じながら、

最寄駅へと向かいました。

一人で外に出て、電車に乗るは久しぶり、、、。

何度も、何度も乗り換え案内を確認しながら、地図を片手に派遣会社へと向かいました。

「何を話そう、何て言えばいいんだろう?」

「アルバイトしてましたって言えばいいんだ!」

「大丈夫、大丈夫、きっと大丈夫…」

そんな事を心の中で呟きながら、竹橋駅で電車を降りました。

出口を確認して、地図を握る手が少し汗ばんでいるのが分かります。

ただ、登録に行くだけなのに、、、。

引きこもりだってばれたらどうしよう、、、。

そんなよくわからない事を考えて、自分の鼓動が早くなるのを感じながら、

派遣会社へと向かいました。

もう、その後はどうやって入ったのかよく覚えていません。

気づいたら、仕切られている個室に連れられて、

40代半ばくらいの男性のキャリアカウンセラー(Yさん)が目の前にいました。

そして、たった一言、「これまでどうしてたんですか?」

って聞かれた瞬間、全身の毛が逆立つよな、ゾワっとした感覚がして、

「あ、言わなきゃ」ってそう思って、

「実を言うと、引きこもってたんです。」って、結局伝えてしまいました。

すると、ダムが決壊したように、気持ちが崩れ始めて、言葉が止まりません。

言葉だけじゃなくて、涙も止まりません!

”何だ!?何なんだ!?”

自分でも訳が分からない。でも、止まらない。止まらなかった。

気づいたら、洗いざらい話していました。

その間、そのじっとYさんは、話を聞いてくれていました。

その時の優しい眼差しは一生忘れません。

Yさんは、一通り話し終えると、

Yさんは「そっか…。辛かったね…。」

そう、一言、言ってくれました。

そのたった一言が、僕の胸に刺さりました。

今まで、誰もそんなことを言ってくれなかった。

母は夜な夜な布団を濡らし、それを見ていた父は母を励まし、

そんな姿をしらない息子に激怒し、

「お前は、お母さんが自分の育て方が悪かったのかって、泣いているの知ってんのか!」と言われた。

衝撃だった…。

それまで沢山吠えて、これでもかってくらい怒鳴りあってたのに。

そんな母の事を思うと、言葉に詰まり、言葉が出なくなったあの日も。

そんな両親の事を知ってか、知らずか、

姉が本気で僕にぶつかってきて、大喧嘩、

「信じられない、もう誰も見方がいない、お前もか!」

そんな思いを口にも出きず、無言で大粒の涙を流しながら

家を飛び出し、大声をあげて、そこらじゅうの壁や電柱を殴り、

やり場のない怒りや気持ちが、どうしようもなくて、叫んで、走った。

苦しくて仕方がなかった。

誰もわかってくれなかった。

「でも、おれが悪いんだ、だからしょうがない、、、。でも、、、」

そんな思いを抱えて、気持ちがおさまるまで何時間も夜空を見つめて、孤独で泣いて、

何にも考えないように、ただただ夜空を眺めていた。

そして、気持ちもおさまり、「そろそろ心配するから帰るか・・・」

そう思って、家に帰ったら、ものすごい勢いで

ドタドタドタッ!と、目を真っ赤にはらした姉が玄関に飛び出てきた。

それも、大泣きしながら、、、。

「ひ~ちゃんが、自殺しちゃったかと思ったよ!よかった~!お姉ちゃんどうしようかとおもった…。よかった…。」

そんな姉を見て、何にも言えず、胸が締め付けられて、涙が込み上げて来て、

申し訳なくて、ふがいなくて、歯を食いしばった。

そして、振り絞って「死なないよ・・・」と一言だけ言って、泣く姉をそのまま残し、

一人で2階の自分の部屋に行って泣いた。あの沢山泣いた日も。

家族みんなが辛くて、「辛かったね」の一言を掛けてくれる人なんていなかった。

だから、その「辛かったね」の一言は、僕にはどうしようもなく響いた。

その言葉のおかげで、「頑張ろう!」とそう思えた。

その言葉のおかげで、心の底からこの人はわかってくれるんだ。って思えた。

何だか、とっても安心したし、ほっとしたのを今でもはっきりと覚えている。

そして、「胸の痛みが消えた、聞いてもらうってこういう事なんだ…。」

そう、思ったあの日。

「そうだ、いつかこの人みたいに、悩みを聴いて人の役に立ちたい!」

そんな小さな決意をしたあの日。

勇気を振り絞ってよかった。

勇気を振り絞り、向かった先で、とってもいい出会いがありました。

僕はそこで、IT系の経理の職業に紹介予定派遣という(6か月間試用期間で、その後正社員登用かどうかを面接で決める)形で、未経験だが就きました。

そこで、6カ月間働きました。

初めての職場で、初めての仕事、初めての環境、家から原付で10分の職場。

初めての給料は、家族を焼肉へ連れていって、みんな喜んでくれました。

母も父も、姉もみんな笑顔でした。しかし、そんな生活は長く続きませんでした・・・。

・2度目のひきこもり。

どうしてもその仕事にやりがいを見いだせず、

このまま家と職場の往復で、彼女とも結婚して死んでいくのか・・・。

なんてことを思うと、なんだかとっても怖くなりました。

「このままでいいのか?」

そんなことを考えながら、半年間が過ぎて、

先方からは専門職で採用という話しを頂きましたが、僕は辞退しました。

もっと違う職業に就こう、もっと人と関わる仕事に就こうと、そう思って。

しかし、そんな思いも長くは続かず、その後少しだけ転職活動をしましたが、

結局行かなくなってしまい、Yさんにも申し訳なくなり、行けなくなってしまいました。

その後、結局僕は引きこもりに戻ってしまいました・・・。

「何の為に生きるんだろう・・・」

「生きるって何だろう・・・」って、そう思って、また逃げるようにゲームの世界へと戻っていきました。

しかも、今度は前回よりもさらに深く・・・。

その後すぐに彼女とも別れ、第2次ひきこもりが始まりました。

家族は一度働いたので、すぐにまた活動を再開するだろうとか、大丈夫だろうときっと初めのころは

思っていたと思います。

しかし、そうはならず、僕はずっと引きこもりゲーム漬けの日々・・・。

もう、何をしていいのやら、周りの友達とも一切連絡をとらなくなり、

たまに連絡をくれてもすべて無視でした・・・。

「お前何してるの最近?」と聞かれるのがたまらなく嫌で、

「働いている友達に比べて俺は何をしているんだ・・・。
また、ひきこもって親のすねをかじって、ゲームばかり、、、自分はクズだな・・・。」

そんなことを考えながら、そんな現実と向き合うのが嫌でオンラインゲームの世界へと逃げていきました。

その世界は誰も僕が引きこもっているのを知らないし、誰も現実生活の事を聞いてきません。

だから、そこでなら必要とされる気がしたし、なんだか居場所があるような気がしていました。

もう1日ずっと朝から晩までゲームの日々です。

一日に平均で12時間はやっていました・・・。

両親や姉はみんな働いていたので、みんなが出ていった後にゲームをして、

それから深夜までずっとゲームの日々・・・。

家族はもう何も言いませんでした・・・。

PCがあった部屋はリビングでしたから、息子そして弟がずっと死んだようにゲームをしているんですから、

見ている家族はそうとうつらかったし、色々言いたかったと思います。

それでも、普通に話しかけて来てくれます一生懸命。

ヘッドホンをしてゲームをしていたので、そんな声も聞こえず、聞こえても、頷くか、すこし言葉を出すだけ。

「いつまでやってんだ・・・」

そんな家族の声が聞こえても、無視してずっとゲームの日々。

ネットゲームをやっている時だけは、

家族のこと、将来のこと、悩み、苦しみを感じなくてすみました。

そのオンラインゲームをやって、一緒にいろんな人とゲームをしている時だけ、

その苦しみから逃れる事ができました。

頭の中は寝ても覚めてもゲームの事ばかり、他の事が入るスキがありませんでした。

しかし、ふと考えると、漠然とした不安が襲ってきて、たまらなくなりました。

そんな生活が1年くらい続き、生きてるんだか、よくわからない状態が続きました。

・「野川さん、助けて!頭がおかしくなりそう!」

そんな生活を変える事になった一つのきっかけは、オンラインゲームの友人の助けて!の一声でした。

ある日、いつものように、ゲームにログインをして、ゲームをしていると、急に友人からチャットが届きました。

友人A「野川さん、助けて!!www俺頭がおかしくなりそうだよwwwww(w=(笑)の意味)」

僕「ちょwww落ち着けwwwどうした!?」

というネットの友人のチャットから始まりました。

その友人は、僕が聞いたことがないような、波乱万丈な人生を語り始めました。

友人も引きこもり、当時の僕より7つほど年下でした。

家庭環境が大変で、こんな家ってあるのかというほどの、大変さでした。

どうやら、彼も限界が来たようでした。

そりゃ~限界がくるよ、発狂したくなるよ!というような内容だったので、

よく耐えてきたなと思ったと同時に、おれにそんな事相談されても、どうしたらいいの!?と正直戸惑いました。

それでも、一生懸命に聞きました。何にもできずに、ただただ、事情を聞いて、

そして、当たり前のアドバイスしたかできませんでした・・・。

将来あの本の人のように

あのキャリアカウンセラーのように

人を元気にしたかったのに、目の前の友人に対して、

僕「学校へ行った方がいい、そんな昔のことは気にするな。」

友人「・・・。そうなんだけど・・・。」

僕「確かに、昔色々あったな、、、。恐いのはわかるけど、でももったいないよ。そんな奴らのことで、お前の人生くるっちゃうの。このままでいいわけないだろう。」

友人「そうだよね。でもさ・・・。」

と、内容は詳しく書けませんが、自分の事は棚に上げて、アドバイスを繰り返すばかり・・・。

その時は、一生懸命でした。

でも、話を聞き終えてから、

「何をやってんだ・・・」

「自分の事を棚に上げて、、、。俺は何もできなかった、、、。」

「友人の意見を聞けてもいなかった、、、。結局押しつけや正論を振りかざしただけ、、、。」

そんな思いが湧き上がり、ものすごく後悔して、落ち込みました。

結果的に、その後、その友人はネットの世界から少しずつ離れて

勇気を持って一歩進んでいって、定時制の学校に行き始めました。

すると友人は、「野川さん、おれ○○の学校に行って、そのHPに写真があるから見てよ!」

そんな報告をチャットでしてくれました。それを読んで、

彼の勇気に感心し、その勇気が羨ましくもあり、

「すごいな!まじか!もう、こっちの世界に戻ってきちゃだめだぞ!」なんて声を掛けました。

その写真で、彼の顔を初めてみましたが、

「意外と、身長たかいな!」というのが、僕の第一印象でした。

そして、「よく進んでいったな・・・。すごいな・・・。」とつくづく思いました。

しかし、その友人は、その後またイジメのような心のない言葉を

人から言われたり、石を投げられたり、色々とあったようで、その度に

僕は彼に、「そんな奴ら気にすんだよ!」と言って励ましていました。

それでもその友人は、何ヶ月かは通っていました。

いました。というのは、その後連絡が取れなくなったからわからないのです。

その後、どうなったのか知らず、果たして本当に学校に行ったことが良かったのかも分からず、人の人生にかかわる難しさを痛感しました・・・。

それでも、、、今度、同じように相談される時にもっとましな人間になっていたい・・・。

もっと、本当の意味で話を聞けるように、その人の寄り添えるように・・・。

そんな思いから僕はカウンセリングを学び始めるわけですが、それはもう少しあとのお話です。

それから僕は、「あいつが出たんだから俺もでないと、、、!」とそう思って、

ゲームから少しずつ離れていきました。

でも、それでも僕はなかなか前に踏み出すことはできませんでした。

それどころか、自責の念や後悔が止まりませんでした。

「あいつにとって、よかったんだろうか。もっと人生経験があれば・・・。」

「俺は、自分が引きこもっているのに何やってんだ。」

「自分が出来てないことを言って、おれの現実は未だに変わらない・・・。」

「なりたい人にもなれていない、結局前と変わらない・・・。」

「はぁ・・・。友達は、あんなに前に進んで働いているのに、おれはいつまでこんなことを・・・。」

そんな思いが続き、もう何も考えたくもなく、ただただ死んだように寝て、ゲームをして、の繰り返しでした。そんなころにはゲームのプレイ時間が9600時間を超えていました・・・。

・終わりにしよう・・・と思ったあの日。

「もう、無理だ・・・」

「生きているのも辛い・・・、もう疲れた・・・。こんな人生嫌だ・・・。」

そう思って、もう終わりにしよう・・・。

と、そう思いました。

生きているんだか、死んでいるんだかよくわからず、そのころには気持ちすらも感じられず、

ロボットのような感じで、何も感じませんでした。

「でも、いきなり死んだら悲しむだろうな、死んでいる姿をみたら、悲しむだろうな」

と、そんなことを思って、僕は手紙を書くことにしました。

死ぬ前に、最後に手紙を書くことにしました。

そして、きちんとした紙もなかったので、そこらへんに重なっていた紙を何枚か取り出して、

ペンを右手にとり、机もなかったので、床に紙を置いて、手紙を書き始めました。

「お母さんへ・・・」

そう書き始めた時の事です。

今まで、何にも感じなかったのに、全身の毛が逆立つように、ぶわっといろんなものがこみ上げきました。今まで何も感じなかったのに、いろんな気持ちがこみ上げてきました。

その瞬間、本のこと、これまでのこと、色々な思い出がよみがえってきました。

なんなんだこれは!と思いながらも、その気持ちはとまらず、

気づいたら泣いていました。

ありえないくらいに、泣いていました。

「ごめんね、、、こんな息子でごめんね、、、。育ててくれてありがとね、、、。」

その言葉を、ひっくひっくと声を出して泣きながら、何とか書きました。

(死にたいはずだったのに・・・何でこんな涙が出てくるんだろう・・・)

そう思いながら、このままじゃダメだ手紙が書けない・・・。

そう思って、次は、「お父さんへ・・・」と書き始めましたが、

これも書けません。

怒られた事、大喧嘩したこと、育ててくれたこと、

酔っぱらって帰ってきては、マックのフィレオフィッシュを買ってきてくれたこと。

成人した年のお正月に、父さんと二人で、一升瓶を開けてべろんべろんに酔ったこと。

一生懸命どなりあって、最後に「ひとし、たのむよ・・・」って、泣きじゃくるぼくの左肩に

手をそっとのせて、語り掛ける父の声、そして泣きそうになる父の顔を思い出しては、

もうそれ以上、文章が書けない・・・。

おねえちゃんに関しても、そうです。

あの日、「ひーちゃんが死んじゃったかと思った」と目を真っ赤にしていたおねえちゃん。

スイミングスクールでいじめられていた僕を助けに、バスに乗るときにそのいじめっ子に

ひたすらがんをつけて、守ってくれて、

毎年、なんだかんだ色々な服をくれたり、プレゼントしてくれたこと。

「うちの弟はいいやつなんだよ・・・、優しくていいやつなんだよ・・・。」って、

友達と居酒屋で号泣しながら、語ってくれたことを聞かせてくれたこと、

いろんな事を思い出して、ペンが進まない。

死にたい!と思ったのに、ペンが進まない。

涙で、紙に書いた文字がにじみ、こんなことを読んだら余計に悲しむと思って、

その紙を丸めて捨てた。

でも、もう苦しい、もうこんな生活嫌だ、、、。

家族にも迷惑を掛けたくない。

そう思って、僕は、カッターを左にとり、死のうと思いました。

でも、その左手が震えて、うまく持てない。

大粒の涙で左手がはっきりと見えない。

それでも、もう終わりにしようと思って、

右の手首を切りました。

その瞬間、激痛が走りました・・・。

「痛い!」

そう思って、浅い切り傷でカッターを投げ捨てました。

流れる血を見て、ティッシュで押さえ、

「死ねないし、もう嫌だ!なんなんだよ!」

って一人叫び、さらに泣き崩れました。

「死ねないし、でも生きていたくもない、でも死ねない!なんだよ、なんでこんな涙が出てくるんだよ・・・。」

ひとしきり泣いた後、

「もっと、ましな人間になりたい。」

「こんな無価値な人間なんて嫌だ・・・。もう、こんな思いをするの嫌だよ・・・。

「これ以上迷惑かけたくないよ・・・。誰かに必要とされたい・・・。こんな自分で誰かの役に立ちたい・・・。
ボランティアでもいいから、なんでもいいから、誰かの役に立ちたい・・・。」

という、思いが湧き上がってきました。

そこで、僕は涙と鼻水をぬぐいながら、こんな決心をしました。

「もう、どうでもいい!もう好きなことやってから死ぬ!ダメだったら死ねばいい!」

と、そんなよくわからない決心をしました。

「今俺は何にもない・・・、無価値だ。でも人の役に立ちたい。」

「では、何ができる!?」といった時に思い浮かんだのが、キャリアカウンセラーのYさんや、母の本、助けを求めてくれた友人の事でした。

「仕事とか、抜きにして人と人として、人と関わる仕事がしたい。立場とか、そんなの関係なく。
 悩んでいる人の役に立ちたい。そして、人生経験を積んで、今度相談された時は、もっとましな人 

 になっていたい、そして今度あいつみたいに、悩んでいる人に相談されたら、応えられる人になりた  

 い。」

そんな思いが湧き上がり、そうなろうと決めました。

だから、まずは、出よう。

そう決めて、30歳までにカウンセラーになることをはじめ、

いきなりカウンセラーではなくて、社会人経験を積んでからなる事。

まずは、リハビリだと思って、1年はどこでもいいから働く事。

それが出来たら、転職をして営業とか人と直接かかわる仕事で、コミュニケーションを磨ける仕事に就く事など、色々なことを決めました。

決めてからは、早かったです。それから、もう何でもいいから求人を探しました。

社会人経験もほとんどなく、出来る事も何もない。だから、リハビリのつもりで、どこでも受かったら、入ろうと、そう決めて就職活動をしていたら、2か月後にすぐに決まりました。

初めての正社員で働くことになりました。そこはイベントの企画・運営会社で、事務職での採用でした。 ひきこもりを脱出して最初の仕事は、幕張メッセのイベントでした。そのイベントは何万人も来場があるイベントで、ひきこもっていた僕には、少々ハードルが高く、不安でした。

しかも、大声をあげて、来場者にプレゼントを配らないといけなくて、まじかよ・・・!と思ったのをいまでも覚えています。ただ、当日は必死でした。もうひきこもりとか考えてる余裕もなく、必死に働きました。

家族には、本当に迷惑をかけしましたが、就職が決まった時に、本当に喜んでくれました。

おねえちゃんに、「お前もやっと社会人だな」って言われたのを今でも覚えています。

・家族に手紙を送った日。

働いてしばらくしてから、家族に大変な迷惑をかけたので、

手紙を書こうと、そう思いました。

あの時みたいに、死のうと思った遺書のような手紙ではなくて、感謝の手紙を。

母、おねえちゃん、父、それぞれに手紙を書きました。

そして、直接「ありがとう」って言って、手紙を手渡しで渡しました。

母は、その場で手紙を読んでくれて、「ありがとう。」とそう一言いってくれました。

父は、手紙を渡すと驚いた顔をして、また母と同じく「ありがとう」と、そういって、

手紙を机のわきにそっと置きました。なんだ、すぐに読んでくれないのかと、

少しがっかりしましたが、後で母からこんな話を聞きました。

「ひとし、お父さん喜んでいたよ。一人で手紙を持って、そっと2Fに上がっていったよ。」って。

そう、父はシャイなんです。TV番組の”初めてのお使い”を一人で見て、泣いているくらいシャイな父なんです。

(そんな話を聞いて、ありがとうと僕は心の中で呟きました。)

さて、おねえちゃんは、もうそのころは結婚していた為、家にいなかったので、手紙を送ることにしました。

その手紙が届いた日が、ちょうどおねえちゃんの結婚式でハワイへ行く日だったのですが、

そんな日に届くなんて知りもしなかった僕は、朝、おねえちゃんからの着信が何度かあって、

その手紙がその当日に届いたのを知りました。電話口でおねえちゃんは泣いていました。そして、なぜか旦那さんも。

姉は、「お前、何してくれているんだよ。お姉ちゃん今日から結婚式いくときに、読んだらダメだと思ったけど、お姉ちゃん読んじゃったよ。顔がぐちゃぐちゃだよ・・・。これから行くっていうのにもう・・・。ありがとう。また後でね。」

そういってくれました。

おねえちゃんは、こんな僕も結婚式のハワイに連れて行ってくれました。

そして、おねえちゃんに結婚式のムービーをつくって渡して、姉と旦那さんと僕の3人で、

部屋でありえないくらい号泣したのを今でも覚えています。

おねえちゃんは今でもたまにそのムービーを見て、泣く事もあるそうです(笑)

・ひきこもりの底からすくってくれたのは・・・。

引きこもって、沢山苦しんで、沢山家族も苦しんで、沢山泣いて、沢山喧嘩しました。

当時の彼女が「働かないの?」って聞いてくれなかったら、

キャリアカウンセラーのYさんに会わなかったら、

友人が僕に助けを求めてくれなかったら、

その友人が勇気を出して、学校に行き始めなかったら、

あの時に、母が本をくれなかったら、

父やおねえちゃんが怒ってくれなかったら、

家族みんなが支えてくれなかったら、

ずっと見守ってくれなかったら、今の僕はありません。

間違いなく生きていません。

どれが欠けてもきっと、今の自分はありません。

そう考えると、人生は不思議です。

たまたま、僕は家族に恵まれ、周りの人に恵まれて今を生きています。

2年間のひきこもりの暗い底で、僕はカウンセラーという希望を見つける事が出来ました。

ひきこもりとそれを支えてくれた家族のおかげで、また一緒に笑えるようになりました。

これを読んでいる方の中には、「自分はそんなに恵まれていない。」

「そんな優しい家族ではない」と思う方もいるかもしれません。

ただ、人生は、少しの、ほんの少しの勇気と、周りの支えで

前に進むものなんだと、そう思います。

僕は、友人の「助けて!」の一言で、そして彼のその一歩で、

勇気づけられ、前に進むキッカケをもらい、カウンセラーになる一歩をもらいました。

そして、彼女の一言で、前に進む覚悟をし、そこで一歩を踏み出した先で、Yさんに会って、

人の優しさや、ぬくもりに触れました。

家族が見捨てずに、母が本をくれて、家族が見守り続けてくれたことで、僕は前に進むことができました。

諦めずに、泣きながら怒ってくれたことで、僕はたまらなく辛く、苦しくもありましたが、

家族のやさしさや、あたたかさを感じることができました。

時に立ち止まってもいいじゃないですか。

苦しくて泣いてもいいじゃないですか。

それでも、前に進もうとした一歩には、ご褒美があるように思えてならないのです。

そして、その一歩は、僕のように誰かの次の一歩へとつながることもまたあると思うのです。

その一歩が、そしてそのご褒美があなたにも来ることを祈って、この物語を書かせて頂きました。

なんだか、もう終わりのようになってしまいましたが、このお話には、もう少しだけ続きがあります。

ひきこもりだった僕が、悲しみのそこで見つけたカウンセラーという希望と、その一歩を始めるまでの物語です。

決して平たんではなく、成功しているわけでもありません。
これを読んでいるあなたと同じで、もがき苦しみながらも、前に進むあきらめが悪い男のお話です。

そして、そこで出会ったクライアントさんをはじめ、一生懸命生きている人の物語です。
ご興味があれば、もう少しだけお付き合いくださいね。

野川  仁
・元引きこもりの心理カウンセラー
・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・(一社)日本心理カウンセリング協会 代表理事
現在は、都内のクリニックでカウンセリングも行っている。

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