・再び歩き始めた道と初めてのカウンセリング

ひきこもりを脱出して、働き始めた僕は、イベント会社でいろいろな経験を積み、お金を貯めて、

当初の予定より少し長い1年と4カ月で、その会社を退職し、

ケーブルテレビの顧客サポートのお仕事に転職をし、

そこで、今まで貯めたお金でセミナーに行き、ずっと学びたかったカウンセリングやコーチングなど、色々なことを沢山学びました。

休みの日は、ほぼセミナーにでたり、交流会にいったりと、

ひきこもっていたのが、嘘のように行動していたのを今でも覚えています。

NLP、コーチング、フォーカシング、ゲシュタルト療法、再決断療法、グループエンカウンター、
個人がやっているカウンセラー養成講座などなど。

必死に学びましたと書きたいですが、必死ではなくて、日々が楽しくて輝いていました。

ついちょっと前には引きこもっていたのに、なんだか不思議なものです。

ただ、学べど学べど、実際にやる勇気がなくて、ただ学ぶだけの日々が続き、気づいたらもう転職してから2年が経とうとしていました。

自信のなさから、なかなかカウンセリングを始められない日々。

そんな中で、友人や知り合いにお願いをして、初めてカウンセリングをさせてもらう機会がありました。

ひきこもりを脱出してから、4年がたったころのことです。

その初めてのクライアントは女性の方でした。

とあるセミナーでお知り合いになって、僕ならと信用して頂いて、カウンセリングを受けて頂くことになりました。

時間は90分だっと記憶しています。そして、初めてお金をもらってカウンセリングをしました。
その方は真剣に、僕に自分の悩みを話してくれました。

今振り返れば、もうさんざんたる内容のカウンセリングでした。
それでも、当然ですが一生懸命にカウンセリングをしました。

一生懸命に聞いて、その方が課題を乗り越えられるように、そう思って、取り組んでいましたが、結局何もできなかった・・・。

それが、僕の感想でした・・・。

自分の無力さに、聞く事の難しさ、寄り添う事のむずかしさ、人の人生にかかわる事の難しさを痛感した一日となりました。

勿論、はなからうまくいくことなんてないと、そう頭ではわかっていましたが、ここまでできないと、もう本当に、落ち込みました。でも、気の毒だったのはクライアントの方です。

そんなカウンセリングに付き合ってくれたんですから。初めてお金を頂いてのカウンセリングを終えたあとは、もうどっと疲れて一日寝込んでいました(汗

その後、何人かにカウンセリングをさせてもらいましたが、どれもとてもじゃないけれど、うまくいった!なんて言えない状態が続き、このままじゃダメだと、そう思った僕は、カウンセリングをそれまで以上に学ぶことにしました。

自信のなさや、技術の不足を補おうと、色々なセミナーに出て、自分もカウンセリングを受けてみたりと、湯水のようにお金を使って学びました。

結局どれを学んでも、その不安や自信のなさは拭えなかったんですが、セミナーにでていると、なんだか落ち着いて、学んだ気になって、意識だけ高くなって、これを学んだら!この最新の技術を学べば、自分にもいいカウンセリングできる!とそう思って、沢山のセミナーに出ました。

それこそ、新車を買えるくらいお金を掛けたけれど、、、現実はあまりかわりませんでした。

昔の自分に声を掛けるなら、そんなのにお金使うならちょうだい!と声を掛けると思います(汗

ようするに、やるかやらないかだけだったんだと振り返った今は思えますが、当時の僕は焦っていたし、不安で仕方がなかったんです。

そんな焦りや不安の日々の中、ある疑問が湧き上がり、なかなか消えることはありませんでした。

「理論・技術を人に当てはめて教えてくれる人は沢山いるけど、人の心はそんなに単純なものなのか?理論で、人が見えなくなってないか?」

「それって、人のこころを大切にしているのか?」

という疑問でした。

いろんなセミナーに出て、色々な技術や理論を学びました。

でも、どこにいってもその理論に使われている気がしていて、違和感が消えませんでした。

とあるセミナーに行けば、腕を組んで考えていたら、腕を組むのをやめてください。

それは、抵抗しているからですと言われ。

ある臨床経験の長いカウンセラーの下でカウンセリグを受けたら、言っている事が全然伝わってない気がして、最後に素直に「全然わかってもらえなかったです」と伝えると、「40分は時間が短いからね。」と言われました。

果たしてそうなのかな?時間の問題なのかな?

なんてことを思ったのを今でも覚えています。

それからもいろいろな所にいきましたが、

こういう仕組みでこうするんすよ。って教えてくれる人はいても

「野川さん、カウンセリングは開始2分の間がとっても大切なんですよ。その間に、クライアントの
 メッセージは出ているんです。だから、最初は、しっかりと、人を見て下さい。」

と最初に出会った先生のように教えてくれる人はいなかった。

理論で人を理解することを教えてくれる人はいても

目の前の人の”今”の気持ちを理解する術を教えてくれる人は他にはいなかった。

「今のクライアントの表情に気づきましたか?」

と、話を中断して、教えてくれる人は他にはいなかった。

人の温もりを感じるようなコミュニケーションを教えてくれる人は他にはいなかった。

あの人はこういう人だから、このタイプだからという人はいても

「あの人の今の手の動きを見て、何を感じますか?どれほど柔らかくて、大事なものを表現しているかわかりますか?」

と、あの人の今を教えてくれる人は他にいなかった。

「この問題はこう解決するんですよ」と教えてくれる人はいても、

「目の前の人は問題ではありません。人です。問題を乗り越えようとしている人です。」と教えてくる人はいませんでした…。

それでも、自信がなくて他の世界も見たくて、講座に参加して、

目の前で繰り広げられる公開カウンセリングを見て、

なんだか気持ち悪くなって途中で抜けて外に出たこともありました。

外に出て、「なんか違う・・・」そう思いながらも学んだこともありました。

そこで、ようやく気づきました。

これ以上探しても無駄だってことに・・・。

というのも、一番最初に出会った方が、僕が学びたかったことをすべて教えてくれたからです。

それからというもの、その方が毎月開く勉強会に参加して、

その方から幸せなことに、その後も何年も学ぶことができました。

「野川さん、今の相手の表情気づきましたか?」

「野川さん、どんな意図で今の質問をしましたか?」

「質問は相手に負担をかけるのです。だからケアをもしてください。」

「Aさんの声は、今どう聞こえましたか?」

などなど、時にビデオをとって振り返りながら、いろいろなことを教えてもらいました。

ようやく、自分が学びたかったことを学べている実感と、それができる自分に近づいているようで、

本当に貴重な時間でした。

そんな中で、僕にとって大切な出会いがありました。

・「そっか、よく立ち止まりましたね」

その方は、そういってくれました。 大阪のセミナーで出会った、当日の僕からしたら父親くらいの年の方でした。

その方と定食屋さんでお昼を食べて、そこの定食屋を出た時に、この人になら話してもいいかもしれないと、そう思いひきこもりの事を話した時のことでした。

「すごいですね。よく立ち止まりましたね。
 それってすごい勇気だよね。僕も野川さんと同じように、

 人生に疑問を感じた時もありましたが、立ち止まる勇気がありませんでした。
 人と違う道をいくのは勇気がいることですね。みんな何となく大学へいって、

 なんとなく就職していくけど、その用意されている道から降りたわけだからね。」って。

そんな言葉を掛けてくれました。こんなことを言ってくれる人なんていないと思っていました。

自分の親と年齢が近い方に・・・。僕にとってすごい出来事でした。

その方もまたご自分の仕事はあるけれど、それをやめて、出来るかはわからないけれど、人の心にたずさわり、人を元気にする仕事を将来したいとそう仰っていました。

その目は、真剣で輝いていて、優しいまなざしでした。

年甲斐もなく、なんてことを仰っていましたが、そんなことはまったくなく、こんな若者の意見に丁寧に耳を傾けて頂いて、その姿勢や、そのあり方に当時の僕は救われました。

今思えば、相談してくれた友人もこんな風に言ってくれる人が周りにいたら、誰か一人でも、その彼自身を認めてくれる人がいれば、あれほど苦しむことはなかったんだろうと、そう今では思います。

それからも僕はカウンセリングを学び続け、ある決断をしました。

それは、臨床心理士になることでした。

一生をかけて生きていくなら、この道しかないだろう、個人なんかではできないし・・・。

そう思って、仕事中に暇を見つけては勉強し、家に帰っても勉強の日々が続きました。

・臨床心理士を目指すために会社を退職

仕事をしながら、勉強をしていて、2月に受けようとして、勉強を始めたのがその前の年の6月ごろだったので、とてもじゃないけれど、間に合わない、そう思った僕は、会社を辞めて勉強に専念することにしました。

辞めてからは、一日10時間くらい勉強をして、心理学、臨床心理学をずっと学んでいました。

しかし、これでは、人は幸せにならない、こんな事役に立つのか?という思いがどうしてもぬぐえず、勉強をしていてもペンが進まなくなり、テキストを開けて、勉強するだけでなんだか気持ち悪くなってしまいました。身体がこころが拒絶反応を起こしていたんです。

そして結局、臨床心理士を目指すことを辞めてしまいました。

臨床心理士を目指すと、みんなに言っていたので、辞めると決めた時に、みんなになんていえばいいのか、支えてくれ親になんて言えばいいのかわかりませんでした。

辞める前に、受験時期の延期を決めた時に、カウンセリングの先生には言わないとってそう思い、色々な想いとともに、延期を決めた訳をメールで伝えました。

・「野川さん、誰かを堂々と応援できるって幸せなことですよ。」

そのメールの返信には、こんな言葉が綴っていました。

「野川さんが、これから仕事にしたいと考えていることの中にも、そういった要素が含まれているので、それはお分かりかと思います。プレッシャーもあるかと思いますが、それを満喫してください。みんな馬鹿みたいに、うまくいくと信じている気がします。

どういう結果になっても、応援できる喜びを感じている人は、その輝かしい未来まで含めて信じていますから。2月に受けるのも、半年後も、1年後も、進む価値無しと判断するのも、本質的に変わらないと思います。勉強したいこと、学ぶ価値があることに取り組んでください。野川さんが、好きなやり方で進んでもらうのが、周りとしては一番喜ばしいです。」

という言葉とともに、様々なメッセージが書いてありました。

それを読んだのが11月の終わりの仕事中、昼休みに、営業車の中で休んでいた時の事でした。

涙が堪えきれずに、泣きました。午後1時からお客さんとのアポイントがあるのに、車内でその携帯の画面を見て、携帯を握りしめながら、泣きました。

何かをやると決めて、人にも言って、でも違うと思った時に、その夢や目標って、簡単に辞めた!って、手放せなくて、自分が弱い人間で、ちっぽけな人間に見えてもくるし、応援してくれる人もいて、その気持ちに対して裏切るような気持して、その夢や目標を手放せない。

そんな時って、とっても苦しくて、自分を責めて、辛いじゃないですか。

僕は、夢とか目標って変えちゃいけないものだと思っていました・・・。

でも、夢や目標って変えてもいいんですよ。って、あの時、そう教えてもらいました。

もし、今あなたが僕と同じように悩んで、どうしても苦しいなら、変わってもいいじゃん、進む価値があると思ったことに、少しでもいいから、ほんのちょっとでもいいから、進んでいったらいいんじゃないかなって、そう思います。

さて、その後、結局僕は受験をやめる事を決めたわけですが、でもこの先どうしたらいいのかも分からず、途方にくれました。毎日お酒に逃げてた時期もありました。

ただ、このままではダメだと思い、藁にもすがる思いで、

民間のカウンセリングスクールの門をたたきました。

そこでを卒業し、そこでのご縁も頂いたので、そこでカウンセリング養成講座の講師となり、

月に1回ではあるけれど、就労移行支援事業所でカウンセリングをさせてもらったり、

本当に数件ではありますが、企業のカウンセリングをさせて頂いたり、

横浜で実践心理学教室という心理学の教室を運営させて頂いたり、

少しずつですが、本当に少しずつですが、そこでカウンセリングを始める事ができました。

この時、引きこもりから脱出してから6年、カウンセラーになると決めた30歳から1年が過ぎた、

31歳のことでした。もう、そんなこととっくに忘れていましたが、ふと思い出して、

「そういえば、1年遅れだけど、なんとかスタートには立てたんだな・・・」と、そう思うと感慨深かったのを今でも覚えています。

その後、カウンセラーとして独立して、うまくいったと書きたいところですが、

そんなドラマチックなストーリーはありません。以前に働いていたイベント会社でアルバイトしながらもその道を進んでいきました。

そして、ようやくスタートラインに立った僕にとって、忘れられないカウンセリングがあります。

・「野川さんに、話してダメだったら死のうと思います・・・。」

そんな一言から、その方とのカウンセリングは始まりました。

その方とは、何回かカウンセリングをしていましたが、

その日はいつもと様子が違いました・・・。

いつものように、コンコン・・・とノックの音がして、ドアを開けると、

うつむいて、元気がなさそうに、深刻な顔をしていました。

(どうしたんだろう・・・)と思いながらも話しかけました。

僕「こんにちは。今日もよろしくお願いしいます。」

彼女「よろしくお願いします・・・・。」

僕「なんだか、元気がなさそうですが、どうかしましたか?」

彼女「・・・・・・。」

彼女「今日野川さんに話をして、ダメだったら死のうと思います・・・。」

僕「ちょ、ちょっと待ってどうしたんですか?」

彼女「実は・・・。」

すると、彼女の口からは、悲しみや苦しみの声が漏れてきました。

死にたい!と目の前で、泣きながらくるクライアントに僕は、ただただ必死で、気のきいたことも言えませんでした。

とにかく理由を聞いて、背景を聞いて、その苦しみを悲しみを聞きました。

もう正直、どうしたらいいのかわかりませんでした。

人が自分のすべてをさらけ出して、ほんとに助けを求めてきた時に、技術云々はなんの役にも立たず、

ただただ、必死で、必死で・・・。

僕「こんなことを言ってはダメかもしれないけど、カウンセラーとしてではなく、一人の人間としていうけど、そんなに苦しくて、悲しくて、辛いなら、死んだ方がましかもしれない。でも、これも僕のわがままだけど、死なないでほしい。」

彼女「でも、苦しいんです・・・。死んでも誰も悲しまないです。」

僕「苦しいよね。でも生きてほしい。あなたが死んだら僕は悲しい。生きてればいいことあるなんていえないけど、生きる価値は人生あるから。だから・・・。」

そんなやり取りを繰り返し、もうカウンセラーというよりも、ただの人と人との対話でした・・・。自分も死のうと思ったことがあること、ひきこもっていたことを伝えて、半分泣きながら、死なないで、生きて。と必死でした・・・。

すると、クライアントは泣きだして、しばらく泣いていました。いくつかのやり取りを繰り返し、

僕「でも、今日ここに来たのは、本当に死にたいからなの?」

彼女「本当は生きたいです・・・。」

その瞬間、ものすごくほっとしました。「良かった・・・」って。

あのひきこもりの時もそうですが、人がほんとに助けを求めてきた時に、学んできたことなんて、なんも役に立たないんです・・・。

いっきに、そんなものが丸裸にされて、のこるのは一人の人としての自分。

そんなことをまた、つくづく思い知らされると同時に、こんなこともそのクライアントから教えてもらいました。

最初から死にたいと思う人はいない。

ということです。そのクライアントも最初からそういう死にたいという思いに至ったわけじゃなくて、本当は笑っていたくて、でも苦しくて、幸せになりたくて、でも辛くて、生きるのが辛くて、そんなことの繰り返しで、疲弊して、気づいたら生きる方が痛みがつよくなっていって、どうしようもなくて、その結論にいたってしまったのであって、

本当は、死にたくなんてないし、そんなこと思いたくもなかったと、そう、僕は思います。

だから、苦しくて、悲しくて、辛くて、どうしようもない時、もう限界だ・・・そう思いながらも、
心の底では、生きたいという気持ちが、まだ自分を見捨てずにいる気持ちが、自分を諦めない気持ちがきっと、ほんの少しかもしれないけど、残っているとそう思うんです。

その後、そのクライアントとは、長いお付き合いになりました。

そのカウンセリングの日に、苦しくなったらいつでも連絡をと連絡先を伝えて、死なない事を約束し、月に対面以外でも電話カウンセリングをすることを伝えて、その日は終わりました。

それから、何度も助けて下さい!というそのクライアントのメッセージに「もう、無理だよ・・・。」と、正直何度もくじけそうになりながらも、電話カウンセリングが続きました。

色々な事情もあり、お金のかわりにメロンパンをもらったり、気に入った空の写真を送ってもらったりしていました。

ただただ未熟で、介入のしすぎであったり、やりすぎなところが沢山あって、正直カウンセラーとして本当にもう反省することばっかりだったけど、約2年にわたるその方とのカウンセリングは先日一旦終りました。(本人の許可をとって書いています)

まだまだ、すっごい元気になった!とまでは、いかないし、この後の人生はカウンセリングをしていた人生よりも長いので、苦しいことも、悲しい事も、辛い事も、嬉しい事も、楽しことも沢山あると思います。

それでも、死にたい!と言っていた時から比べると、ずいぶんよくなったとは思います。
人生おいて波があるとしたら、一番大きな荒波は乗り切ったときっと、そう思います。

ただ、人生はまだまだ続きますから、どんな穏やかな波が続くのかも、荒波がまたくるかもわかりません。

だから、どうしても、どうしても苦しくなったら、その時はまたお話をしましょうと、そう伝えてカウンセリングを終えました。

このカウンセリング以来、カウンセラーとしての関わり方、カウンセリングとは何かを考える日々が続きました。

・カウンセリングとは・・・。

カウンセリングで関わるのって、その人の人生のほんの一瞬なんです。

たかだか1時間や1時間半、月に4回やったとしても6時間とかそんな程度の時間です。

その時間よりも、その人のカウンセリングから帰って、生きる時間の方が当たり前だけど多いのです。

では、その一瞬という時間に価値があるのかというと、価値はあるんです。

「苦しくて死にたい!」と言っていて来たクライアントも、

薬を沢山飲んでうつろな目でカウンセリングに来たクライアントも

会社が倒産し、多額の借金を背負って、窮地の中、これからの道を決めようとなんとか持ちこたえて来た、クライアントも

体調を崩して病を抱えたが為に、退職を余儀なくされ、人生を再考しに来たクライアントも

自分の足でなんとかその重荷を持ちこたえて、生きています。

みんなそれぞれの重さを抱えて生きています。あなたもきっとそうですね。

カウンセリングって、その重荷をおろしに来るところであり、

おろしたその重荷を紐解き、その中に入っていたのは、自分がずっと大切にしたかったものであったと気づいたり、

もう背負うことができず、足が限界が来たら、また歩めるように、休んでもらったり、

その重荷を背負ってでも、歩んできたその思いに気持ちをはせたり、

歩いてきた長い長い道のりを振り返ったりする、そんな場所だと思うのです。

道が変わる人もいるだろうし、引き返す人もいるだろうし、また進み始める人もいるけど、また自分の足で歩いていくお手伝いをする、そんな時間だと思うのです。

人生においてほんのわずかとも思えるそういった時間は、価値があるとそう思うのです。

そんな時間をつくりたいと、引きこもりを抜けてから今までの7年間、技術を学び、知識を手に入れ、自分ももがき苦しみ、そんなに多くはありませんが色んな人生の方々と、関わらせて頂きました。

カウンセリングをさせて頂いた人数も、同じ人を除けば60~70人くらいです。その方たちはみんな頑張って生きていました。

誰一人として、平たんな人生ではなく、もがき苦しみながら生きていました。

偉そうなことを書いてますが、、、僕は、カウンセラーとしては、まだまだ生まれたばかりのひよこです。うまくいかなかったケースの方が正直多くて、投げ出しそうになりそうな時もありました。

うまく関われたかなと、そう思った時に、それは違かったんだと、そう気づかされたことがあります。

・ありがとう。その一言の虚しさを知る。

講師をしていた時に、こんなことがありました。精神的な病を抱える方でした。

一生懸命に講義に来て、時にやすみながらも、そして頑張りすぎなところもある中で、

よく横浜の教室にも来ていただいていました。

その中で「夢なんてなくてもいい」と、そんなお話をしたことがありました。

そして、ある発表をする機会があった時に、その方はこんなことを言いました。

「野川さんに、夢なんてなくてもいいと、そう教えてもらえて、ふっと気持ちが楽になりました。ありがとうございます。それで、今こんなに元気です」と。

そう、言ってくれました。ただ、その時の表情はとても元気といえるような表情ではありませんでした。

でも、僕は喜んでしまいました。少し胸にぐっと来てしまいました。

「気持が楽になってよかったな・・・」って、そう思ってしまいました。

それから少しして、その人は来なくなってしまいました。

直接その方から、後日辛い状況にいることと、カウンセリングの依頼を受けましたが、

色々な事情が関わっていたので、受けると逆に迷惑をかけると思い、僕はお断りしました。

クライアントからありがとう、野川さんのおかげなんです。

何て事を言われると、僕はどうしようもなく落ち込むことがあります。

「うまくいかなかったんだな」って、自分の無力さを責める事があります。

全部がそうではないけれど、クライアントは、カウンセラーを喜ばせようとすることがあるんです。それも無自覚に。

そういった喜ばせようという気を使わせてしまった時点で、そのカウンセリングはあまりうまくいかなかったんだと、そう思うのです。カウンセラーがクライアントに気を使わせてどうするんだと、そう思うのです。

喜ばせるためにやるんじゃなくて、自分の為にやってくださいとそう思うけど、でも、そう思わせてしまったのも自分なわけで・・・。

そりゃ、喜んでもらったら嬉しいです。やっぱり。

でも、クライアントに喜んで欲しくてカウンセリングをしているわけではなくて・・・。

喜んでもらうのはおまけなんです。

野川さんのおかげといわれる度に、自分の腕のなさを嘆いて。

野川さんありがとうと、喜ばせようという気持ちから出たありがとうを聞くたびに、ごめんねと心の中で呟く。

関わってくれる人が自分の足で歩いてきて、これからも歩いて行けるんだと、そういう実感をもってもらう日が来たらいいなと、そう思いながらも葛藤の日々です。

でも、それも人生で、当たり前ですね。悩んでこその人生です。あたなも、僕に相談してくれる方もそうです。

・一生懸命に生きるからこそ、悩む。

「野川さん、今日初めてあなたに会う私は、あなたに私は何を話したらいいですか?あなたの事が信用できません。」と、ものすごい目つきで、話してくれたあの方も、

「病気になって、働けなくて、人生を始めて振り返り、自分に出来る事から初心にかえり、頑張ろうと思っています」と、そう息子の年ほどの僕に、まるで面接で決意を述べるかのように語ってくれたあの方も、

「仕事に一区切りをつけて、少し楽になりました・・・。」と言っていたあの方も、

「母親が憎くてしょうがないんです・・・」とそう言っていた方も、

今を一生懸命に生きていました。みんな頑張っていました。

それぞれの人生に触れるにつれ、みんなそれぞれ何かを抱えて生きているんだと、つくづく思います。

人並みの人生、平凡な人生なんて、自分で書いておきながら、そんなことはまやかしかもしれないなって、そう思うんです。普通な人生、平凡な人生なんてないって。

かくいう僕は、相変わらず、カウンセリング一本では食べていけていなくて、
以前のイベント会社でアルバイトをしながらの生活続いていますが、
やっぱり、それでもやっぱりこういう仕事がしたいとそう思うのです。

今年で、講師を初めて3年です。
カウンセリングを本格的に始めて3年です。

気持ちを新たに、関わってくれる一人から始めようと、そう思う日々です。

あの時に、ひきこもっていなければ、そして色々な人の支えがなければ、

決して生きてこれなかった、おかげさまの人生です。

その好意に甘えさせてもらって、家族にもいまだに甘えさせてもらっている人生ですが、

関わることを必要としてくれる人がいる限り、やらせてもらおうと思っています。

長くなりましたが、最後に、僕が先生から頂いた言葉(少し変えていますが)を、これを最後まで読んでくれたあなたに贈って、終わりにしたいと思います。

この世に、季節があるように、人生にも季節があります。

ひきこもっていた僕のように厳しい寒さの中で、雪で覆われて見えないけど、いつか芽吹くことを祈って、種をまく冬も、そのいくつの新緑が芽吹く春もあります。

そして、芽吹いた実りを、育てていく夏もあります。もちろん、それを収穫する秋も。

どんな実りになるかはわからないけど、すべての人の人生のうち、花が咲く時や収穫の時期がきっとあります。もちろん、あなたにも、僕にも。

それでね、早く実ればいいわけでもないと思うんです。

早く実り、収穫を迎えたがた為に、大した実りにならないこともある。

それよりも、根を深く張って、伸ばしていき、その重さに耐えられるように、
そして幹を太くし、沢山の実りをつけられるように枝葉を広げていくことも大切です。

今はあなたにとって、まだ実りをつける時期ではないかもしれない。

だけど、その実りをつける時に、花開く時に、沢山の実りと、他の人から見ても綺麗ではなくても、
あなたがみて綺麗だなって、そう思える花を咲かせられるように、今は虎視眈々と根を張り、枝葉を広げて下さい。僕もその時を待って、根を広げ幹を太くしていますから。

・終わりに。

どこにもである家族と僕とひきこもりの物語。

決してうまくいってないけど、それもいいとそう思える日々をおくっています。

これを読んでくれたあなたの心に何かとどくものがあったら、嬉しい限りです。

そして、これを読んでくれたあなたといつか会って、今度はあなたの物語を聞ける日が来たら嬉しいなと、そう思いながら、このへんでそろそろ終わらせて頂きますね。

野川  仁
・元引きこもりの心理カウンセラー
・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・(一社)日本心理カウンセリング協会 代表理事
現在は、都内のクリニックでカウンセリングも行っている。

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