ども。野川です。
最近は、SUITSという海外ドラマにはまっていて、
今はシーズン3までみましたが、
いやはや、法廷ドラマというよりも人間模様のドラマですね。
お互いに足をひっぱりまくり、
どっちかが折れればいいのに!
って思ってもみんなプライド高いから折れんのです。
いやぁ、ドラマのように本当にどろどろとした世界なら、
あんまり行きたくないな~と言いながら見ています。(^-^;
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さて、今日は、「家族の問題は個人の問題?」というテーマです。
僕は、家族の悩みを抱える方の相談もたまに受けますが、
家族の一人が悩みの種ということって結構ありますよね。
例えば子供が不登校だったり、
引きこもっていたりすると、
その子供が問題だと捉えがちだし、
もしくは、父親の酒癖が悪いとか、
家のことをなんもやらないとか、
母親が働きすぎて子供に愛情が不足しているといったように捉えがちです。
このように、家族問題ではある一人の人が問題である。
というようにとらえられがちなんですが、
家族療法ではこれは問題とは捉えません。
では、どのように捉えるの?
というと、「問題とみなされた人」と捉えます。
英語でいうとIdentified patientです。
患者とみなされた人。という意味です。
なぜ、そのようにみるのかというと、
家族を一つのシステムというようにみる家族療法の流派が多いからです。
家族は、個人個人がお互いに影響しあっていて、
一つの家族というシステムを作っている。
そのシステムがうまくいかなくなってきた為、
”問題”という役割を背負ったのが、不登校であり、
ひきこもりであり、そういった家族の一人なのですよ。
って捉えるのです。
だから、その人そのものではなく、
家族というシステムにちょっとうまくいってないところがあって、
それを知らせてくれた人が問題を抱えているとみられる人だったりするのですよ。
って捉えるのです。
だからだから、家族療法家は問題を抱える人を問題とは捉えません。
だって、例えば子供が不登校になったから、両親が喧嘩をしなくなり、
お互いに和解しあうきっけかけになったかもしれないじゃないですか。
すると、それって問題ではなく、子供が不登校になってくれて、
親を和解させてくれようとしている親孝行の子とみることもできます。
そう捉えれてみると、問題ではないんですよね。
他にも、お子さんが手がかかってしょうがない、
早く自立してくれないかなと、いつまでたっても自立しない子供がいたとします。
でも、どうやら話を聞いてみると、
そのお子さんがいない時の両親は無言で、
むしろ喧嘩ばっかりを繰り返し、
息子さんが帰ってくると仲裁をしてくれている。
という日常を繰り返していたとします。
すると、息子さん事態はご夫婦のカンフル剤で、
両親を守ってくれるとも捉えることができるわけです。
だから、家族療法では一般的に問題といわれる方を、
問題だと捉えることはしないのです。
それよりも、このご家族はいまどのようなテーマを抱えていて、
問題と見慣れる人は、何を教えてくれようとしてるんだろうか?
今このご家族は、どのような変化のプロセスにいるのだろうか?
その”問題”とされるものが起こったことで、
どのような肯定的な変化が起きたでしょうか?
僕はこの考え方が好きです。
問題と捉えることって簡単じゃないですか。
でも、そうではなくて、
その問題とされることが起きたのは、
家族の変化の兆し、
みんなどこかで影響しあっていて、
やっぱりつながっている。
どこか見えないところで、
みんなが今でも一つの家族を支えている。
そう考えると、僕はなんだかうれしく感じるのです。
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