『他人の芝生が青い様に自分の芝生も青い。』

何かに向かう姿って素敵に見える。

例えば、部活を頑張っていたり、

勉強を頑張っていたり、

スポーツを頑張っていたり、

仕事を頑張っていたり、

夢や目標に向かって頑張っている姿は、

やっぱりとっても素敵に見える。

 

でも、それを自分が持っていないと、

自分がひどくちっぽけに見える。

あんなに人は輝いているのに、

自分は何でこんな生活を送っているんだろう。

 

その輝きが美しくもあり、

その輝きのせいで苦しくもある。

 

でも、その苦しみは本当に苦しむ必要があるのだろうか?

 

人が持っているものを僕たちは欲しがるけれど、

本当に必要だろうか?

 

僕たちは自分たちの中に持っているものをあまりにも過小評価しすぎる。

 

人から羨まれる部分を僕たち「も」持っているのだ。

 

「一つもないよ。そんなもの。」

きっとそう言いたいし、否定したいよね。

 

でも、それでもやっぱり持っているのだ。

羨ましく思われないかもしれない。

だけど、確かに僕たちは輝く部分を持っている。

 

僕たちは無いものを見つけるのがとっても得意だ。

「ほらやっぱり自分には夢も目標もない。」

そんな声がことあるごとに頭の中にこだまする。

 

でも、僕たち心のどこかで知っている。

そんなものなくったって、

ただ楽しかった日々を、

ただ嬉しかった日々を、

ただ大変だった日々を。

 

いつからだろう?

僕たちがそういったものに目をくらまし始めたのは。

いつからだろう?

僕たちがそういったものが無ければ生きていけないって

そう勘違いし始めたのは。

 

いつからだろう?

 

僕たちが自分には何もないって、その頭にこだまする声を信じ始めたのは?

いつからだろう?

誰かにそんなことを言われて、そう信じ始めちゃったのは。

 

そんな声も、

そんな誰かからの言葉も、

信じる必要なんてないんだ。

 

誰かがこういうだろう。

「あんたには何もないね!」って。

良いじゃないかなくたって。

何にもない。

だから生きている。

何にもない。

だからここに居る。

 

誰かになりたかったわけでもない。

何かを達成しする為に、

目標を持つために生まれてきたわけでもないんだ。

 

「私の目標はただ生きること!」

「やりたいことなんてない!」

そう涙ながらに語った人を僕は知っている。

 

 

素敵じゃないか。

ただ生きること。

やりたいことなんてない!

って、目標なんてないって叫べるのは。

 

それが心の叫びなのだ。

いろんな人に「やりたいこと」「目標」「生きがい」を押し付けられて生きてきた自分の心の叫びなのだ。

 

そこから、ここから自分を生きることが始まるのだ。

反旗をひるがえしてやろう。

「ノー」と言ってやろう。

心から言ってやろう。

さぁ、深呼吸をして勇気を持とう。

押し付けられてきたものに「ノー」と言おう。

 

大丈夫。

何もないと感じているのは、頭の自分だけだから。

心は知っている。

ただ生きるだけで、満たされることを知っている。

だから大丈夫。

 

さぁ、行こう。

野川  仁
・元引きこもりの心理カウンセラー
・JCA カウンセリング・傾聴スクール 講師 
・(一社)日本心理カウンセリング協会 代表理事
現在は、都内のクリニックでカウンセリングも行っている。

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