両親のことを大切にすることはとっても大切だけれど、
両親の言うことを守ることが必ずしも大切にすることではないと、
『両親の言うことも守れないのに、社会で通用するわけないじゃないですか…。』と、
涙ながらに言うクライアントに対して、僕はそう思うのでした。
どんな人生を歩んできたら、そんな言葉が出てくるのだろうか。
そう思いを巡らせながら。
僕たちにとって親という存在はとっても大きい。
生んでくれた人であり、
とっても大きな存在だ。
色んな人に出会ってきた。
親を恨んでいる人。
裏切られたと感じている人。
親のことが大好きな人。
親のことを尊敬している人。
どの人も共通して、
親という存在は心の奥底でとっても大きな存在なのだと、
親のことを嫌い、
恨んでいる、
縁を切っていると言いつつも、
その語りからその存在の大きさを感じるのです。
そう、目の前のクライアントも。
親の価値観を大人になった今でも押し付けられ、
親の痛みを一身に受け止め、
僕にはとても想像もできない事を言われながらも、
親のことを嫌いとは一言も言わない。
ただの一言も言わないのだ。
それってすごいことなのだ。
親の教育の賜物?
いや違う。
親が洗脳してきたから?
いやそれも違う。
親に怒られるのが怖いから?
いやいやそれも違う。
目の前の方にとっては親だからだ。
好きかどうかは置いておくとして、
大切な存在なのだ。
だから「親孝行ですね。」と僕はその方に声を掛けました。
「え?」という彼女にこう付け加えた。
「一言もさっきから嫌いと言いませんよね。」
「そしてずっと親の言うことを守ろうとしてきたわけですよね。」
「そうやって今でも親のいうことを聞こうとして来て、親に今でも親でいさせてあげているわけですよね。」
「○○さんは自分で言うように大人で、子供ではないわけです。でも小さい子供のように接する親に対して、○○さんは出来るだけ言うことを聞いて、まるで昔のように親である喜びを味わわせてあげているわけですよね。」
「そして、だれが否定しても○○さんだけは親のことを否定せずに今でも子供して親を守ろうとしていますよね。」
「普通そんな酷いことを言われたりしたら、親を責めて当然なのにです。」
すると、その方は静かに頷き、涙をそっと流しました。
僕たちにとって親という存在はとても大きく、
どんな形にせよ、やっぱり大切なのです。
そしてそれと同じように大切なのが自分自身です。
その方はそれを思い出しに来てくれたように僕には見えました。
自分を押し殺してでも従ってくれることを本心から望む親はいないだろう。
その方はきっと反抗期がなかったのかもしれない。
反抗期に僕たちは親から教えられた価値観から離れ、
自分の価値観を確立していく。
反抗することにより、僕たちは自分を形づくって行くのだ。
それは自分にとって何が大切なのかを自分で吟味するプロセスだ。
きっとその方にもそんな時期が「今」来たのだと僕は感じたのです。
お話を聴いた後、僕はこう伝えました。
「いつか反抗期が来てもいいかもしれないですね。」
するとその方はビクッと反応し、びっくりした表情で、
「いや、それ今は…。」と。
僕は笑顔でこう伝え返しました。
「いつかですよ。いつか。」
「今は親の言うことを今まで大切にしてきた分。自分の心の声を少しずつ聴いていきましょう。」
「まずは自分の感情に気づくところから始めてみましょうか。」と。
いつか目の前の方が感じている親不孝が、
親孝行になる日が来ると願いを込めて。
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