目の前でまるで灰色になったかのように、
生きる力が抜けていってしまったかのような弱々しさを持っている人を目の前にすると、
僕たちは「手を差し伸べたくなる」時がある。
そして、そんな手を取り続けていくと、
いつの間にか自分がその人を支えているのだと、
自分がいなければこの人はダメになってしまう。
そんな気持ちになってしまう事がある。
でも、でも…。
残念ながらそんなことは微塵もないのだと敢えて言おう。
僕たちは一人では生きていけないけれど、
誰かの支えがなくても一人で立ち上がれる。
そのくらいの力強さを僕たちは持って今を生きている。
それはその人も、
あなたも、
僕も一緒だ。
だから、「私がいなければ!」そんな考えが湧いてきたら、
それは少し危険信号なのだ。
だってそんな時、僕たちは目の前の人の力を見誤っている。
支えになること、
肩を貸すことだけが力になることではないのだ。
「そんなこと分かっている。それでも肩を貸したい。」
そんな思いがそれでも湧いてくる時は、
こう自問しよう。
「その肩に支えられているのは、本当にあの人だろうか?」
「自分の為になっている可能性はないだろうか?」と。
渇望的なまでに何かをしたい時。
僕たちがすべき最初のことは”立ち止まる”ことだ。
渇望的なまでに必要とされたい。
渇望的なまでに誰かの力になりたい。
どれも必要な気持ちだからこそ、
それがリミットを超え、
疾走してあなたを壊してしまう前に、
僕たちがすべき最初のことは、
立ち止まることだ。
これは何も共依存がどうだとか、
そういったことだけではなくて、
僕たちの生き方にも関係している。
僕たちがまずすべきことは、
何かを変える前に僕たちがすべきことは、
その歩みをそっと止めることだ。
ふと立ち止まり、
上を見たその瞬間に「こんな風にそらを見たのっていつぶりだろう?」って、
そう自問をしたあの時のように。
ふと、そっと立ち止まることが人生にはきっとずっと大切なのだ。
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