相手を許すのではなく、自分の中の期待を許す
よく「許そう」というけれど、
その許す対象は、相手であり、
自分自身であることが多いですね。
そりゃ~相手も、自分も許せたら嬉しいけれど、
そうもいかないことがありますよね。
そんな時、許すのは、相手ではなく、
自分や相手に「期待」を持った、
自分の一部分を許すこと。
相手が許せない時、
許せないのは、期待を裏切られたから。
でも、その期待は、
勝手に自分が期待していたこと
でもあるのです。
ただね、人は期待する生き物なので、
それはしょうがないことなのです。
「信じていたのに…。」
という一言も、
「最後の最後まで信じぬきたかった期待」の表れで、
「本当は裏切らずに、期待に応えて欲しかった思い」の表れで…。
「なんであんな酷い事したんだろう…。」
という一言も、
「自分は、そんな酷い子をしない優しい人だ。」という期待の表れで、
「本当は、自分は自分をコントロールできる。」という期待の表れで…。
やっぱり、その許せない背景には、
「期待」があるのだ。
相手に対して、
自分に対して、
僕たちは「期待」する。
それは、期待であり、「希望」でもある。
だから、その期待はなくならない。
だから、その期待であり、希望を持った自分を許すんだ。
期待は希望でもある。
だから、持ってしまうんだ。
だから、持って良いんだ。
そして、その期待を持ったのは、
希望を持ちたかったからだ。
それは、相手にも自分にも、人生にも。
だから、そんな気持ちを持てた自分を、
そんな気持ちを持ってくれた自分を許そう。
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