幸せって何だろう?
幸せって何だと思う?
全てを失い、
頭を掻きむしり、
どうしようもないほどの苦しみを抱える目の前の人が、
目に涙を浮かべながら叫ぶ。
「先生、信じられますか?妻がこんなことを言うんです。」
「この2週間が人生で一番幸せだっていうんです。」
「先生、信じられますか?」
「子供が生まれてから何となくすれ違うことが多かったけど、
この2週間は本当にいろんなことを話せたし、深い話も出来た。
それが何よりも幸せだっていうんです。」
「私は別れないよ。あなたはこれから好きなことをして生きな。」
「ってそんなことを言うんです。先生、信じられますか?」
「両親も怒ると思ったんですけど、また一から始めていけばいいじゃないかっていうんです。」
「先生、信じられますか?」
僕は、すべてが信じられる。
カウンセリングをしていると、こういう瞬間に出会うことがある。
誰かが「許し」というやさしさに触れる瞬間。
最初から「許されている」という思いやりに触れるその瞬間だ。
そんな時、僕は理由もわからず襟を正し、
静かに震えるその心に気づき、
こう思うんだ。
「人は温かい。」って。
苦しみが、不幸というのなら、
目の前の苦しみの中にある幸せは、何なんだろう?
苦しみが、悪というなら、
目の前の許しという正義は、何なんだろう?
幸せは、測ってはいけないんだ。
幸せは、測れないんだって僕は思う。
きっと彼は忘れないだろう。
沢山の人の許しという優しさに触れたその瞬間を
奥様のその大きなやさしさを。
一生彼は忘れないだろう。
そして、
きっと彼の奥さんも忘れないだろう。
二人の時間がいかに大切だったかを、
如何に幸せを感じたかを。
一生涯二人は、その時間を忘れないだろう。
きっと彼の両親もその日のことを忘れないだろう。
そしてきっといつか、
誰かが苦しんでいる瞬間に彼は出会うだろう。
その時彼は、気づくだろうか。
両親の気持ちに、妻のその時の気持ちに。
気づくかもしれない。
気づかないかもしれない。
でも、どちらでもいいんだ。
その瞬間は、また誰かが「許し」という優しさに触れる瞬間なのだから。
そうやって、許しのバトンが繋がれていくことを、
僕は目の前の人を見て、こっそり願うのでした。
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