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心は一つという誤解が苦しみを生む
僕たちは、心を一つだと考える。
ただ、そうすると苦しみを生むことがある。
もう到底変えられないように感じるからだ。
「私はダメな人間だ。」
といった時に、私の全部がダメなんだ。
ってやっぱり考えてしまう。
「イライラする。」
といった時も、私の全部が怒っていると考える。
「苦しい。」
といった時も、私の全部が苦しいって考える。
すると、やっぱり苦しさが増し、
辛さが増してしまうことがある。
僕は、先生からこう教わった。
「心は一つではないんだよ。
心には、いろんな自分がいるんだよ。」
って。
そう、心は、色んな部分で出来ている。
ちょっと自転車を運転する時のことを少し思い出してほしいのだ。
僕たちは、自転車を運転する時に、
まず、バランスをとることを学ぶ。
左に体がいったり、右にいったりと、
体がフラフラするので、バランス感覚を身につけないといけない。
そして、ペダルを踏む強弱も学ばなければいけない。
どのくらい踏めば、どの程度進むのかを身につける。
そして、右手でブレーキをどれくらい握れば、
どれほどスピードが緩まるのかも身につける。
さらに、周囲に注意を向けて、
危険を察知する術も身につける。
他にも、こぐのに最適なお尻の位置や、
姿勢や、自分の体力面と相談することや、
いろんなことを身につける。
そうやって転びながら、自転車をこげるようになる。
すると、いつしか無意識的に焦げるようになるし、
こぎながら今日の夕飯の事や、
音楽を聞いたり、水を飲んだり、
いろんなことが出来るようになる。
体は、色んな部分が協力しあって、
「私」という全体を作っているのだ。
私は、一人ではないのだ。
バランスをつかさどる私。
筋肉を動かしてくれる私。
力を調整してくれる私。
危険を察知してくれる私。
体力面を調整してくれる私。
etc.
などなど、いろんな「私」が協力しあって、
繰り返しになるけれど、「私」を作っているのだ。
心にもいろいろな「私」がいる。
そして、心も同じなのだ。
色んな私がいるのだ。
「小さいことにくよくよする私」
「ある発言にイライラする私」
「ある音楽を聴くと、中学生のあの思い出を思い出させてくれる私」
「高いところにいると、怖がってくれる私」
「このままいくと上手くいかないと感じさせてくれる私」
「仕事を楽しいと感じる私」
「仕事にやりがいを感じない私」
「子供に優しくできる私。」
「子供にやさしくできない私。」
「自分を責める私。」
「自分を許せない私。」
etc.
そういった「色んな私」が「私」という一人の人間を作っているのだ。
僕たちは、心を一つだと思っている。
だからこそ苦しむ。
僕たちの心は、一つではなくて色んな心(私)で
作られているんだ。
だから、
「自分てなんてダメなんだ。」と感じても、
それは、あなたがダメなわけじゃないんだ。
ダメだと自分を責める自分がいるだけなんだ。
その証拠に、あなたはそんな自分とともに、
「まだあきらめたくない」自分とも出会う。
「優しくない。」と感じていてたとしても、
それは、優しくないと感じさせる自分がいるだけなのだ。
その証拠にあなたは、
本当は優しくしたい自分とも出会う。
厳しさを選べた自分とも出会う。
「ついつい厳しくしてしまう。」
としても、それはついつい○○の人には、
厳しくしてしまう自分がいるだけなのだ。
その証拠にあなたは、
自立して欲しい気持ちを持っている自分とも出会う。
それほど自分の中に大切にしている芯(価値観)がある自分とも出会う。
自分と同じ思いはしてほしくない思いやりを思った優しさとも出会う。
厳しくすることで、不器用な愛情を表現してきた自分とも出会う。
僕たちには、ただ色んな「私」がいるだけなのだ。
それは、部分であって「私」という全体ではないのだ。
悲しくったって、
そこには、乗り越えたい自分がいる。
寂しくたって、
そこに、寂しさを埋めようとする自分だけじゃなく、
繋がりを感じたい自分がいる。
ダメって感じたって、
そこには、ダメじゃない自分が必ずいる。
僕たちの心は一つじゃないんだ。
僕たちは、ダメじゃないんだ。
悲しみでも、怒りでもないんだ。
僕たちは、「1」以上の存在なんだ。
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