好きなんじゃない。
好きになって欲しいんだ。
最近、お話を聞いてて、
ふとそう思う瞬間がある。
どうして振り向いてくれないの。
そんな気持ちを抱える方をみて、
そう思う時がある。
「好き」と「好きになって欲しい」
は大きく違う。
発信する方と、
受け取る方の違いだ。
好きは発信。
好きなって欲しいは受信。
振り向いて欲しい。
私のことを見て欲しい。
あの人しかこんな私を「好きになって」くれる人はない。
こういった受け取りたい気持ちは、
僕たちをいつしか苦しめる。
それは、相手がよそ見をしようものなら、
顔をぐいっと自分の方に向けようと、
あの手この手で自分を見てもらおうとするからだ。
そしてそんな行動は、結局は自分を苦しめてしまうのだ。
「なんで自分を好きなってくれないの?」
「なぜ私のことを見てくれないの?」
「少しでも、目線がそれると好きじゃないんだ。」
って寂しさを抱えてしまう。
そして結局、自分を苦しめてしまうのだ。
でも、それも仕方がないのだ。
そうやって気持を表現するしか方法を知らない。
そんな時も人生にはあるのだ。
そして、愛情や温もりというものは、
目に見えないけれど、
心を大きく支配するものでもあって、
愛や温もりが枯渇してくると、
もう自分ではどうしようもなくなって、
コントロールが効かなくなる。
だから、そんな時があっても仕方がない。
愛してほしくて、好きになって欲しくたまらない。
そんな時があってもやっぱり仕方がないのだ。
ただ、こういった状況はとっても苦しい。
自分ではどうしようもなく、
暗闇に一人、置いて行かれたみたいだ。
どうしようもないほどの愛の渇望と、
どうしようもないほどの温もりを求める気持ちは、
人にいくら求めても、残念ながら埋まらない。
もちろん、一時的には満たされた「ように」感じることはある。
けれど、「埋まる」ことはないのだ。
そんな時は、愛を学び直すことが必要だ。
例えば、手をつないで、
目の前の人と、目と目を見ながらアイコンタクトをしてもらう練習をする。
例えば、「私は愛される価値がある。」と言葉で言ってもらうこともある。
すると、なぜだか心がざわつく。
言葉は、言霊だ。
心を込めて口にしてもらうと、
なぜだか心がざわつき、気持が湧いてくる。
それは、「そんなこと言ったって私には価値がない。」
って疑う気持ちかもしれない。
それは、「あぁ、やっぱり私は自分に価値があると感じたいんだ。」
という温かい気持ちかもしれない。
どんな気持ちかは、言葉に出してみないとわからないけれど、
ある人は、こういっていた。
「今は、まだ無理だけど。そうなりたい。そう感じたい!」と、
涙ながらに語ってくれた。
それは、間違いなく自分の為の涙でした。
僕たちは、愛に不器用だ。
そうなりたいと心から願いながら、
そんな経験をあんまりしてこなかったから、
どう自分を愛していいのかわからない。
もちろん、いきなりは自分を愛することなんてできないし、
一生ずっと100%自分を愛することなんて出来ないと、
僕は思っている。
でも、その代わりに愛そうとすることは出来る。
愛せない部分も、愛そうとすることも、
そんな自分を受け入れることも、
受け入れようとすることも出来る。
自分を愛するということは、結果ではなくて、
人生ずっと続くプロセスだと僕は思う。
大丈夫。人はいつだって学びなおせる。
何よりも、その苦しさからも抜け出せる。
だから大丈夫。
あなたは価値がある。
生まれてきたということは、
この世界に生きていいよって、
目に見えない大きな存在から許されているんだ。
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