「諦めた方がいいのかな…。」
何度あなたはそう思い、そう自分の心で感じただろうか?
誰かから後ろ指さされるように、
「諦めた方がいいんじゃない。」
「もう十分やったじゃない。もういつまでもそんなことしてないでさ。」
とそう言われる前に、
何度自分でそう感じただろう。
僕たちは、誰かから言われる前に、
自分のことは、自分の気持ちは自分で一番わかっていて、
一番その気持ちをこの世界のだれよりも身近で、
一番近い距離で感じている。
だから誰かからのそんな声や、
自分を諦めさせようとこだまするその声が何より痛くて心が叫ぶんだ。
「うるさい!そんなの自分で分かっているよ!黙ってくれよ!」
って心の中で怒りの声を高らかに上げて叫ぶんだ。
でも、そうしているとなぜだか怒りだけじゃなくて、
心が悲しんでいることにも気づくんだ。
「うるさい!うるさい!」そう叫びながら、
小さな子どもが泣くように、
何故だか分からないけれど泣けてくるのだ。
小さい頃僕らがそう泣いたのは、
自分でも分かっていることを誰かから口うるさく言われた時、
それが出来なくてもどかしさを抱える自分の気持ちを「分かってくれない」時だ。
そう僕たちは、
こんなにも諦めたくないことを
諦めきれないことを分って欲しいんだ。
だから「うるさい!黙れ!」って自分にも「分かってよ!」って心の中で大きな声で叫ぶんだ。
だから僕たちはこんなにも悲しくって、こんなにも怒っているんだ。
人はこの気持ちをなんて形容するだろう?
人は、それを「悔しさ」って呼ぶんだ。
そして、悔しさはまだ何とかしたい証。
まだやれるって感じている証なんだ。
だからまだ悔しがれるうちは大丈夫。
まだ悔しがれるうちは「進め」のサインだ。
だから思いっきり進んでやろう。
進んでいこう。
もう苦しんで欲しくない自分の心が囁く「もう諦めた方がいいのかな。」
というその声を引き連れて、
後ろ指さされながら、
進む姿をあなた自身にもみせてやろう。
まだやれるって見せてやろう。
諦めるより、諦めずに進む方が勇気がいる。
「ダメかもしれない。」って恐怖と戦いながら進む道の方が、
ずっとずっと勇気がいるんだ。
だから不器用な歩みを見せてやろう。
そしていつかその道の先で、
すがすがしさを見つけたら、
大手を振ってその道を降りてやろう。
大丈夫。その時は別の道を行けばいいさ。

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