人のこころは機械じゃありません。
人の悲しみもまた、機械的にできているわけでも、
何かシステムがあるわけでもないですよね。
でも、僕たちは、
機械的にシステムのように、
その仕組みを理解しようとしますね。
「なぜこんな気持ちになるんだろう?」
「原因はなんだろうか?」
「どういう仕組みで悲しみは、
こころの悩みはできてくるのか?」
といったように。
でも、僕たちの気持ちは生ものです。
常に変わるし、止まることがない。
悲しみも悲嘆もそうです。
キューブラーロスの喪失の5段階説があります。
人が大事な人を亡くした時に、
否認、怒り、取引、抑うつ、受容の段階があり、
それぞれのステージを通り、
人は死を、悲嘆を受け入れていく。
という考え方です。
いつまでも怒っていないで、
いつまでも悲しんでないで、
いつまでもふさぎこんでないで、
次へ進んでいこうよ。
と僕たちはよく言われます。
まるでもうその段階にいるのは十分でしょ。
って言われてるみたいに。
でも、そううまくいかないのは、
僕たちが、気持ちは季節のように順番に変化するのではなく、
常に行ったり来たりで、進んでいるということを、
ついつい忘れがちだからかもしれないなって、
そんなことを思います。
誰かを亡くしたり、
大切な人に振られたり、
人生にはいろんな別れがあって、
その度に悲しみが湧いてくるけど、
その悲しも、常に行ったり来たりしている。
前を向きたくて悲しんで、
前をこうと思って、
ようやく進もうと重い腰を上げても、
ふと、以前一緒に行った場所で、
ふと、あの香りが鼻に運ばれてきた時に、
ふと、あの瞬間を思い出した時に、
自分だけ進んで良いのかなって思って、
罪悪感に襲われたり、
思い出しても、唇を噛みしめて、
前を向こうと堪えたり。
時に、堪えきれずに、
また涙にくれたり。
僕たちは、
そんなことを繰り返しながら、
ちょっとずつ心を前に進めていくんだと思います。
進むのも戻るのも、
それもまたとっても大切なことで、
時にはこころを理解しようとせずに、
こころに流れを任せてみることも、
きっと大切なことなんじゃいかと思うのでした。
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